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[BOOK REVIEW:新着写真集紹介/nikkor club #168 1999 spring:92-93]


 『NIPPON AIR SCOPE』、『TOKYO AIR SCOPE』は、秋山忠右氏が、日本、そして東京を空撮した力作、『日本空中紀行-SKY LANDSCAPE』の文庫版です。本書は、前号で紹介した、同氏の『国境流浪』と同じ、京都書院アーツコレクションからの出版ですが、写真集が店頭に並ぶ期間があまりに短い現状のなかで、こうした優れた作品が文庫化され、手軽に再び触れられるようになるのは、本当に嬉しいことです。
 いわゆる名所、流行のスポット、イヴェント、都市、住宅地など、さまざまな場所を収めたこの二冊は、私たちの視覚の欲望に、じつによく応えてくれます。つまり、この場所を上からみたら、どんなふうに見えるのかと思うような場所ばかりが、的確に収められているのです。また、それらの映像は、そうした期待を裏切らないばかりか、思ってもみなかったような光景として提示されているので、ページをめくるたびに、新鮮な発見が訪れてきます。
 空撮というと、地図的な映像を想像しがちですが、本書に収められた空撮は、ひと味違います。場所や季節が選び抜かれているだけでなく、アングルやフレーミングもまた充分に吟味されているのです。『TOKYO AIR SCOPE』のサブタイトルに、「空中に三脚を立てる」と記されていますが、秋山氏は、まるで地上での撮影のように、空中で自在にカメラを操っているかのような感があります。空撮という、厳しい撮影条件を考えると、これは特筆に値することではないでしょうか。『NIPPON AIR SCOPE』に寄せた文章で、『国境流浪』のパートナーでもあった北方謙三氏が述べている、次のような言葉は、そうした秋山氏のカメラ・ワークを、端的に言い当てているように思われます。
 「優秀な機材が満ち溢れている。外的なシャッターチャンスは、素人である私にさえ、捉えるのが難しくなくなった。そういう時代に、いやそういう時代だからこそ、内的なものにこだわる秋山の写真は、特異な輝きと衝撃力を持つのではないだろうか。秋山の写真を見るたびに、私はいつも創造という一語だけを思い浮かべるのである」。
 『TOKYO SUBURBIA』は、郊外を取材した映像で注目されている、ホンマタカシ氏の写真集です。
 港北ニュータウン、浦安マリナイースト、多摩ニュータウン、幕張ベイタウンといった新興住宅地における風景と人物を、透明感あふれるカラーで収めた本書は、若手写真家ならではの、みずみずしい視点と感性がうかがわれます。郊外の、いっけん平凡に見える日常的なシーンを、こうしたクールな眼差しで写すスタイルは、写真の流行としてはすでに80年代から見られたものでもありますが、そこに微妙なバリエーションがつけられているところは、90年代の編集的感覚ならではの作品と言えるでしょう。
 コーナーを丸くカットした厚手の紙を用いた、全ページ余白なしの、絵本を模したような装丁も斬新です。写真集というメディアを、たんなる写真を収めた本ではなく、一つの作品として考えるとき、本書は、一冊の本が仕上がるまで、明快にコンセプトが貫かれた、じつに完成度の高い作品集として浮かび上がってくることでしょう。
 『わからない』は、同じく、このところ注目を集めている、新進気鋭の写真家、佐内正史氏の新作です。佐内氏の写真集は、以前本誌163号でも紹介いたしましたが、その続編とも捉えることができるでしょう。
 日常的なシーンを、淡々と写す佐内氏のスタイルには、ホンマ氏のスタイルと共通する感覚が見受けられますが、佐内氏のほうが、よりさまざまなモチーフを、さまざまな視点で捉えているという点で、いわば詩的でプライヴェートな印象があります。あるいは、ホンマ氏が写真作品としての完成度を求めているように見受けられるのに対し、佐内氏は物語世界としての完成度を求めているように見受けられると言ってもいいかもしれません。さらに言い換えるならば、ホンマ氏が80年代的スタイルを再編(リミックス)して織り込んでいるのに対し、佐内氏は70年代的スタイルを織り込んでいる、という捉え方もできるでしょう。
 こうした、若手写真家による新しい写真と言えば、忘れてはならないのが、女性写真家の著しい活躍でしょう。『家族』は、その代表的な存在の一人である、長島有里枝氏による写真集です。長島氏は、本書でこう言っています。
 「『家族』というタイトルで撮り続けていた写真が一冊の本にまとまって、とても嬉しい。これを家族のアルバムのように私的な雰囲気と、そのへんで目にしそうな普遍的な光景の両方をもつ本にしようと、デザイナーの斉藤君とつくっていきました」。
 このような長島氏の率直な言葉と同様に、本書に収められた写真も、家族アルバムそのものとも言えそうな、じつに屈託のないイメージばかりです。写真集ではなく、どこかの家庭のアルバムとして見ても、まったく違和感がないに違いありません。そうしたことから、本書を見て、いったいどこがよいのかわからない、と感じられる向きもあるかもしれません。しかし、日常性ということが、60年代から今日に至るまで、写真表現の大きなテーマになってきたことを考え併せますと、本書に、90年代ならではの、究極の日常性の写真表現を見ることもできるように思われるのです。
 今回は後半、くしくも若手写真家の写真集3冊を紹介することになりましたが、こういった写真集が出版されるという出来事そのものもまた、今日的な写真表現の現象と言えるのではないでしょうか。