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[BOOK REVIEW:新着写真集紹介/nikkor club #167 1999 early spring:110-111]


 『国境流浪』は、東京の“今”をさまざまな視点から捉えたシリーズなどでよく知られている写真家、秋山忠右氏が、ハードボイルド作家、北方謙三氏ともに、世界の国境を旅した写真を編んだ本の文庫版です。
 上下2巻からなる本書は、上巻に第1部「東西ヨーロッパ流浪」、第2部「カリブの熱と風」、下巻に第3部「西アフリカ三都物語」、第4部「東南亜細亜北垂行」を収めています。こうして表題を連ねただけでも、国境の旅への興味がかきたてられるところですが、本書に収められたスリリングな写真は、そうした興味をけっして裏切ることなく、読者の好奇心に充分に応えてくれることうけあいです。
 東京を撮ったシリーズでの、被写体に大胆に切り込みながら、繊細にディテールをも捉えて逃さない、秋山氏の眼差しは、ここでも健在で、国境の旅という限定された厳しい条件の中においても、ダイナミックに対象を浮かび上がらせています。そのダイナミックさゆえに、本書の多くの写真は、いっけん偶然がもたらしたもののように見えるかもしれませんが、注意深く見ればそれが、熟達したレンズワークと、距離感の間合いによって、緻密に捉えられたものであることがわかるでしょう。見ているだけでも楽しい本書ですが、このあたりは、写真を撮る上での大きな参考にもなるのではないでしょうか。
 北方氏の文中には、写真家秋山氏の様子もしばしば登場していますが、そこでのハードボイルドな男の二人旅の在りようには、誰しも憧れてしまうに違いありません。文庫版という形で出された本書は、そんな冒険とユーモアに満ちた粋な旅を、手軽に持ち歩き味わうという楽しみ方もできそうです。
 『山河風光 相模川の四季』は、『花嫁のアメリカ』『まぼろし国・満州』など、日本人の歴史の襞とも言えるような、忘却されがちでありながら、忘れてはならない問題を、優れた記憶のドキュメントとして発表し続けている、江成常夫氏による写真集です。
 江成氏が、こどもの頃から慣れ親しんできた相模川の、折々の姿を捉えた写真を編んだ本書は、これまでの作品と比べると、かなり趣の違った写真集にも感じられるかもしれません。本書について、江成氏は次のように言っています。
 「作品を創るというより、ふる里の自然と向かい合い、心を休めるための写真だから格別、他人(ひと)さまに見てもらおうという気持にもならなかった。というより、これまで写真家として積み重ねてきた仕事を含め、今ある私を育くんでくれた心の風景だから、そっと自分だけのものにしておきたい、そんなエゴイスティックな思いもどこかにあったような気がする」。
 江成氏の原風景の集積と見ることもできる本書は、テーマ的にはこれまでの仕事と離れているように見えながらも、記憶のドキュメントという意味において、根底で通ずるものがあるように思われます。このように、デリケートに経験や記憶を見つめる江成氏だからこそ、これまでの仕事を成しえたのだと納得させられる一冊です。
 『モノクローム写真の魅力』は、その江成氏と松本徳彦氏が、印象的なモノクロ作品を制作している、日本の写真家50人の作品とコメントを通して、モノクロ写真の世界の魅力を、わかりやすく紹介した本です。
 一般的にはカラー写真が全盛の現在、モノクロ写真はややもすると特殊な世界だと思われがちなのかもしれません。しかし、そういう現在だからこそ、写真の魅力の根源を多く含んだモノクロ写真から学びうるものは、けっして少なくないのだと言えるでしょう。  自身が写真家でもある両氏が、モノクローム写真の魅力をひもといた本書は、普段は敷居が高そうにも感じてしまうモノクロ作品を、実に親しみやすくとりあげていますので、鑑賞という観点だけでなく、創作という観点においても、絶好の導入と刺激を与えてくれるに違いありません。
 『廃墟遊戯』は、東京湾岸の独特の光景を撮ったシリーズなどで知られる、小林伸一郎氏の新作です。
 本書に収められているのは、小林氏が日本全国を10年の歳月を費やして撮り集めた、鉱山、工場、遊園地、マンション、ホテルなどの、さまざまな廃墟の姿です。廃墟なるものが、静かなブームになってからしばらく経ちますが、本書にはそうしたブームとは一線を画した力が感じられます。それは、なんといっても微細な光の変化を見逃さず、写真へと定着する、小林氏の視線の力ではないでしょうか。小林氏は、こう言っています。
 「これまで私は日本中を探索し、廃墟にレンズを向けてきた。私がそれら打ち棄てられたものに対峙してきたのは、光の正体を捕らえたいという願望からだったかもしれない。なぜなら、決して美しいはずのない崩れた壁に、ひび割れた石に、錆びた鉄片に、時として、光は奇跡のような不思議な美を発現させてくれるからだ。私のあくなき試行は、また、その希有な美を求める旅といえるかもしれない」。
 「光の正体を捕らえたいという願望」を抱えながらの、10年がかりでの「希有な美を求める旅」、それはなんというロマンティックで贅沢な、そして粘り強い仕事でしょうか。本書には確かに、小林氏の言う「奇跡のような不思議な美」が定着されていますが、その奇跡は、そうした願望と粘り強さがあったからこそ、起こり得たに違いありません。