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[個人が体現したモダニティと写真論から日本写真の近代性を探る:金子隆一編『植田正治・写真の作法』、大島洋選『再録 写真論1921―1965』/日本カメラ1999年6月号:170]


 植田正治の写真を見るとき、誰しも思い浮かべるのは、モダンという言葉ではないだろうか。これは考えてみると、不思議なことである。なぜなら、私たちが目にする日本の写真のほとんどが、20世紀、つまり、広い意味でのモダン=近代に作られたものであり、したがって、モダンという言葉は、もっと多くの写真家に当てはまってもよいはずだからである。

 しかしながら、逆に、モダンという言葉がふさわしい写真家を思い浮かべようとすると、戦前の「新興写真」や「前衛写真」という枠組みで語られる写真家以外には、なかなか思いつかない。なぜなのだろうか。

 その理由の一つに、植田が、生れた鳥取県からほとんど動かずに、いわばアマチュアとして活動を続けてきたこと、そして、多くの作品が鳥取砂丘という舞台を背景に、演出を施して作られてきたことによって、作品に一貫したスタイルを見ることができるということがあるだろう。土門拳、木村伊兵衛といった写真史的な巨匠はもとより、作家というアイデンティティに敏感であるはずの現代写真家にも、植田ほどスタイルが一貫した写真家は見当たらない。

 このようなことを踏まえて考えると、絵画主義的な「芸術写真」の伝統の中から写真をはじめ、写真の独自性を探った「新興写真」や「前衛写真」の影響の中でスタイルを形成した植田が、戦後においても一貫したモダニティを保持した、いかに稀有な写真家であるかが浮かび上がってくる。

植田正治 私の写真作法  1970年代から80年代にかけて植田が記した文章を編んだ、『植田正治・写真の作法』を読むと、いかにして植田が、そうしたモダニティを保持する視座と態度を培ってきたのかを伺うことができるだろう。例えば植田は、こう言っている。

 「それが、はたしてそうであったかどうか、は別にして、私は、当時、写真による芸術表現、つまり『芸術写真』によって写真する意味を感じ、紆余曲折、精神的葛藤はいろいろあったにしても、50年後の今日なお、同じ道を進んでいるのだ、とおもっている」

 近代の芸術の特徴は、単純に言えば、絶え間ないスタイルの更新にある。しかし、逆説的だが、それを支えているのは大文字の芸術への根本的な信頼、そこから生まれるアイデンティティとしての、スタイルへのこだわりでもある。あたかもそれを体現したような、植田の超然とした芸術への視座と態度こそが、その写真を真にモダンたらしめてきたことは、疑いようがないだろう。

再録写真論1921‐1965 (東京都写真美術館叢書)  だが、それにしてもなぜ、日本の写真表現において、こうしたモダニティの保持が、かくも希有なことなのだろうか。『再録 写真論1921―1965』に、その理由の一端をみることができるように思われる。

 福原信三「写真の新使命 承前」、伊奈信男「写真芸術の内容と形式」、板垣鷹穂「写真の美学」、滝口修造「前衛写真試論」、佐々木基一「映像による現代的性格」といった、同書に収められた写真論を読むと、それぞれの論は題名からも伺われるように、近代性に満ちたものである。だが同時に、それぞれの論は、途方もなく孤立してもいるのである。選者の大島洋は、次のように述べている。

 「…評論や批評といっても、その時々の時評や外国の写真家や新しい写真の傾向とかの紹介が大半で、時代が変われば当然ながらそれらの論考の意味や書かれることになった背景さえも風化されてしまっている。そうした中にポツリポツリと『写真論』を発見するというのが実感であった」

 一方では、時代に流されることなく、超然とした視座と態度を保持した写真家が近代性を体現し、他方では、時代に沿おうとした写真をめぐる言葉が次々と風化し、その余白には、近代性に正面から取り組んだ写真論が孤立している。このような全体の構造そのものは、前近代的にもみえるし、逆に、近代性を乗り越えているようにもみえる。だが、どう解釈しようと、いずれにしても確かなのは、写真表現を支える文脈の希薄さであろう。

 しかし、そもそも文脈が不在のところに、表現がありうるのだろうか?

 もし、写真表現の過去に敬意を払いつつ、こうした問いに向かい合おうとするならば、ここにあげた2冊は、そのための絶好のテキストになりうるだろう。


追記
本稿で紹介した、『植田正治・写真の作法』(光琳社出版・1999年)は、改題され、『植田正治 私の写真作法』(阪急コミュニケーションズ・2000年)として出版されています。