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[文庫で“読む”写真2:『硝子戸の中』夏目漱石/日本カメラ1999年5月号:117]


『硝子戸の中』は、夏目漱石が、1915年のはじめに『朝日新聞』に書いたエッセイを編んだ一冊である。日本近代文学を代表する漱石が、とても率直に、日々の出来事や、そこから思い起こされることを綴っており、親しみやすく、また、味わい深い。
 このエッセイ集のはじめのほうに、次のような、漱石が写真を撮られるエピソードが記されている。
 ――笑顔の写真ばかりを載せるという印象があった雑誌から、写真を撮らせてくれと依頼がくる。漱石は、「写真は少し困ります」「あなたの雑誌へ出すために撮る写真は笑わなくっては不可(いけな)いのでしょう」、と尋ねるが、相手は「いえそんな事はありません」と言ってきた。
 しかし撮影当日…、写真を撮りにきた男は、「御約束では御座いますが、少しどうか笑って頂けますまいか」と…。が、漱石は、「これで好いでしょう」と取り合わない。
 数日後、漱石のもとに写真が届けられるが、その写真は手を入れたらしく、「正しく彼の注文通りに笑っていた」。
 それを見た漱石は思う、「私は生れてから今日までに、人の前で笑いたくもないのに笑って見せた経験が幾度となくある。その偽りが今この写真師のために復讐を受けたのかも知れない」、と――。
 こうした出来事を細々と書くあたりに、漱石の神経質な性格が伺える話だが、いつの世も変わらないカメラマンの姿にも、苦笑させられるエピソードではないだろうか?
 これを読んだあとに千円札を見てみると、漱石がとても複雑な表情をしているように見えてしかたがないのだが…。