texturehometext archivephoto worksaboutspecialarchive 2ueno osamu

[BOOK REVIEW:新着写真集紹介/nikkor club #165 1998 summer:94-95]


 『十七歳の地図』『Father』『カップル』などの、日本の現・風景と日本人の多様さを表現したシリーズで知られる、おそらく今日もっともポピュラーな現代写真家のひとりである、橋口譲二氏の写真集が二冊刊行されました。
 一冊は、1981年に路上に漂う若者を捉えた「視線」で太陽賞を受賞後、ロンドン、リバプール、旧西ドイツのニュルンベルグ、西ベルリン、ニューヨークを、3か月間旅して撮った写真を編んだ『疾走』です。当時、なぜそれらの「経済成長をすでに終えた国の成熟した大都市」へ向かったのか、「『視線』から『都市』へ」と題された文章のなかで、橋口氏はこう述べています。
 「自分を装うことなく街角にたたずむ少年少女たちが発する、虚勢されていない生のエネルギーを鳥肌が立つほど強く体感しながら、同時に僕は、彼らを拒むことなく、自由に居させている新宿という都市そのものが気になり始めていた。…80年代初頭から日本に蔓延し始めた、異質なものを排除する気配――そこからはじかれた『不良』を受け入れる寛容な場所が、『都市』だった」。
 こうして新宿から、世界の都市の路上に漂う若者たちへと向けられた、エネルギーに溢れた眼差しは、まさにタイトルの通り、都市から都市を駆け抜けていきます。ここには、『十七歳の地図』などのシリーズの、落ち着いた作風とは違ったカメラワークの魅力があると同時に、どのような過酷な現実もしっかりと見つめ、抱え込んでいく橋口氏の、現在も一貫している暖かい姿勢を見ることができるでしょう。そして、この旅のなかで、心に一番強く残った都市、西ドイツのベルリンに橋口氏は再び向かうことになります。
 「何もかも許された自由な都市・ベルリン。物質的には何ひとつ不自由していない少年少女たちが、自由に生きたいと願い、自由に窒息していく姿。僕はそこに、自由の優しさとむごさを垣間見た」。この「自由」の正体とは何かという問いとともに、ベルリンに幾度となく通い続けて撮影された写真を編んだのが、もう一冊の『自由』です。
 粘り強いベルリンとの関わりのなかで写された写真には、噎せ返るような「自由」のなかで、生と向き合う若者の赤裸々な姿が、浮き彫りになっています。しかし、橋口氏が日本に戻って見たものは、「考える間もなく豊かさだけを一方的に享受している若者たちの姿」でした。「『自由』を定義する前に、おざなりにしたまま、自由という都合のいい単語だけが街じゅうにあふれていた。それが今日まで続いている」。それでは、日本人の「個」とは何なのか。この問いが、『十七歳の地図』などのシリーズへと連なっていくのです。こうした意味で、今回刊行された二冊は、初期作品の作風の違いが興味深いだけではなく、現在へと連なる橋口氏の一貫した人間への関心と、その在りようの変化が伺える、たいへん貴重な写真集に思えるのです。
 ニューエイジ・フォトグラフィーの旗手のひとりである、蜷川実花氏による、待望のはじめての写真集、『17 9 '97』が出版されました。といっても本書には、写真集という言葉から想像されるような重々しい感じは、どこにもありません。軽やかな装丁、シンプルなタイトル、カラーで気ままに撮られたブレたりボケたりした日常のイメージ、時折挿入されるセルフポートレイトと、どこをとっても、お気に入りの写真をまとめたアルバムといった風情です。こうしたことは、何よりも巻末に収められた短いコメントに如実にあらわれているように思われますので、そのいくつかをランダムに拾ってみましょう。 「花を見ると、すぐにシャッターを押してしまう」「どこだったか、ちょっと忘れました」「気持ち良い風をうけながら撮った、きもちのよい写真」「私にとって、とても重要な一枚」。ところで、こうした写真表現に対する姿勢そのものは、さほど新しいものではなく、むしろある意味でコンテンポラリー・フォトグラフィーが目指し続けた姿勢であるともいえるものです。しかしながら、蜷川氏の写真の圧倒的な新しさは、それを屈託なく、軽々と実現したところにあるのではないでしょうか。
 『デュラスの領土』は、自費出版という形態によって、たんに作品をまとめるというだけではない、見る者を挑発してやまないスリリングな写真集を発表し続けている鈴木清氏の、八冊目の写真集です。既刊の『夢の走り』『天地戯場』とともにアジア三部作を構成するという本書は、小説家マルグリット・デュラスをテキストに、ベトナム南部やラオス中部を旅して作られたものです。しかし、むろん本書は、紀行的な写真を収めた写真集ではありません。そうではなく、デュラスというテキストの余白を蛇行するように、鈴木氏自身の生が重層的に映像として刻まれた、迷宮的な魅力に溢れた写真集です。本書において、幾重にも重ねられたテキスト/イメージ/エクリチュールは、写真を見るというだけでなく、映像を経験するという歓びに満ちた体験へと、読者を誘うに違いありません。
 女性評論家による久々の写真論『ヌードのポリティクス』は、東京都写真美術館の学芸員の笠原美智子氏による一冊です。美術館での意欲的な企画でもよく知られている笠原氏による本書は、ふだんなかなか関連付けて見ることのできない女性写真家の仕事を、さまざまな側面から照し出し、その意義を明らかにした画期的なものであるのはもちろんのこと、女性である笠原氏がこうした本を出版したということ自体の、実践的な意味も大きい一冊であるように思われます。