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[BOOK REVIEW:新着写真集紹介/nikkor club #164 1998 spring:92-93]


 戦後から現在にいたるまで、日本現代写真に大きな影響を与え続けている写真家、東松照明氏の、初期の作品を編んだ『時の島々』が刊行されました。といっても本書は、いわゆる回顧的な写真集ではなく、今福龍太氏のコンセプトによって初期作品が捉え返され、再編された写真集です。そのコンセプトとは何か。今福氏は次のように述べています。
 「本書は、写真家=東松照明による1950年代初頭から1970年代初頭にかけてのモノクローム作品100点を、従来の一般的な写真集とは異なった編集意図のもとに再構成し、テクストと写真との『対話』/『交響』作品としてあらたな相貌のもとに提示しようと考えている。…本書は写真映像と時間との関連における、個人的記憶、集合的記憶、歴史的時間、神話的時間といった異なる時の位相とのかかわりをテクストにおいて探査しながら、『写真』というメディアが特権的に提示することのできる豊饒な『時』の連鎖のありようを、写真作品の配置とテクストとの交響によって読者に示そうとしている」。
 この言葉だけを読むと、いささか難解な感があるかもしれませんが、政治・社会色の強い初期作品が、今福氏の文章と編集によって、とても抽象的な写真群へと再編された本書は、しなやかでありながら独特の強度で見る者を引き付けてやまない写真集になっているように思われます。また、これは突飛な例えかもしれませんが、ポピュラーミュージックの世界で、名曲がカヴァーされて新たな輝きを得るように、本書を、原作者から四半世紀を経て生れた編者によってなされた、写真作品をリミックスする試みとして考えてみると、現代写真という世界の成熟の端緒とも受けとることができ、興味深いものがあります。
 『新宿1965-97』は、流しの写真屋から写真館経営、フリーフォトグラファーという経歴のなかで、裸の新宿とも言うべき生々しい街の在りようを写し続けてきた、渡辺克巳氏の写真をまとめた一冊です。
 「娼婦、ヤクザ、オカマ、ヌード嬢……彼らが『流しの写真屋』の客だった」と、本書の帯にも記されているように、本書に登場する被写体の多くは、いわばアンダーグラウンドに生きる人々です。しかしながら、そこに写っているのは、娼婦、ヤクザ…といった言葉から想像されるようなショッキングなイメージではなく、被写体となった人々のとても率直な姿です。
 ストロボ付オートマティックカメラの出現により、流しの写真屋の仕事が激減したと渡辺氏も言っているように、写真というものの在りようが変ったのか、あるいは、時代が変ったのか、おそらくはその両方なのでしょうが、ここには写す/写されるということの、今日ではおよそ想像することの困難な、素朴な関係が刻まれているように思われてなりません。この意味で本書は、ノスタルジーを越えた時代の記録であるとともに、今では見失われてしまいつつある、写真のひとつの在りようの記録であるとも言えるでしょう。  古屋誠一氏による、『Christine Furuya-Gossler Memoires, 1978-1985』は、妻クリスティーネと出会った1978年から、彼女が共同住宅から身を投げ、この世を去った85年までに写された写真が、時間順に編まれた写真集です。
 「この写真集には、20世紀における私的な記憶という行為のひとつの到達点が静かに示されている。私たちは、今、その極点が、そこに垂直にたちのぼっているのを自らの身体で見ることなる」。本書に寄せられた伊藤俊治氏によるこの文章は、本書の在処を如実に物語っているように思われます。しかし、それとは別に感慨深いのは、70年代の写真表現の一角を形作っていた私的な記録という文脈が、死という出来事や時代の変遷を経ることによって、90年代の終りに、こうしてまったく違った趣で提示されていることではないでしょうか。
 今回は偶然にも、傾向は異なっていながらも、過去の写真を編んだというところは共通している3冊の写真集を紹介いたしました。個々の写真集がとても魅力的であることはもとより、ここで改めて指摘しておきたいのは、写真や写真家の時代性を孕みつつも、新たな意味を持って今日提示されたそれぞれの写真集には、時代の波を通過した写真ならではの、複雑な味わい深さが感じられるということです。そして、その複雑さをどのように捉えるかということこそが、今日の新しい読者に委ねられた部分でしょう。
 『土門拳エッセイ集 写真と人生』は、名文家としても知られた写真の巨匠、土門拳氏のエッセイを、単行本未収録のものを主に、時代ごとに編んだ本です。
 土門氏のエッセイというと、数々の名文とともに、大きな議論を呼んだ「カメラとモチーフの直結」や「絶対非演出の絶対スナップ」といったスローガンが思い出されますが、喜怒哀楽が込められた様々な文章が収められた本書を読んで感じるのは、文章の内容よりも先ず、土門氏が何と様々な事柄に誠実に応え、多くのことを語ってきたかということです。
 今日の写真表現において、作者が多くのことを語ることは敬遠されがちですが、だからといってそれは、表現者が問いに応える責任から解き放されたということではないはずです。力強く持論を展開する土門氏のエッセイには、今日でも賛否両論あるところでしょうが、誠実に応えるという一点は、今日の写真表現に携わる誰もが学ぶべきところなのではないでしょうか。