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[BOOK REVIEW:新着写真集紹介/nikkor club #163 1998 early spring:114-115]


 『ランド・オブ・パラドックス』は、雜賀雄二、畠山直哉、小林のりお、山根敏郎という、日本の現代風景写真を代表する各氏の写真を集めた一冊です。
 かつて炭鉱であり現在は無人島と化した軍艦島を撮った雜賀氏、石灰岩の採掘場を撮った畠山氏、近郊のニュータウンの光景を撮った小林氏、湾岸の埋め立て地を撮った山根氏と、それぞれ取り組むモチーフは異なりながらも、各氏の風景写真に共通するのは、何らかの意味で現代を象徴するような風景を、実にクールな眼差しで切り取っていることではないでしょうか。
 本書は、アメリカ5ヵ所を巡回し、日本4ヵ所を巡回している展覧会に合せて出版された写真集でもあるのですが、巻頭に収められた文章のなかで、アメリカの著名な写真評論家アンディ・グルンドバーグ氏は、次のように述べています。「偏った見方かもしれないが、本展覧会の写真における私の関心は、作品に見られるいわゆる『日本的なもの』にはなく、近年の欧米の写真との驚くべき同時性にこそある」。
 グルンドバーグ氏のこの意見は、ある意味でとても興味深い指摘であるように思われます。というのも本書には、欧米の写真の日本の写真への影響が見受けられるだけではなく、同時に、日本の風景そのものが欧米化している現代という時代が、まさに同時性として写しとられているように思われるからです。そしてこのことは、本書の写真家たちが、真に同時代的であり、それゆえ個性的な写真作品を展開していることの、逆説的な証しでもあるでしょう。
 宮本隆司氏もまた、廃墟としての建造物をモチーフにした写真で知られる、日本を代表する現代写真家のひとりですが、『九龍城砦』はタイトルの通り、宮本氏が撮り続けてきた香港の九龍城砦の写真をまとめたものです。
 返還を迎え揺れる香港、今は無き巨大なカオス九龍城砦の写真というだけで、並々ならぬ興味を覚える写真集であることはまぎれもない事実ですが、それだけでなく、ひとりの写真家が、九龍城砦というモチーフに出会い、それに飲み込まれるように通い続けた軌跡としても、本書はたいへん魅力的な写真集です。その経緯について、宮本氏はこう言っています。
 「私はこのような存在を前にして、ひたすら見ること、写真にとどめることしか出来なかった。写真を撮ることだけが、私に可能なただひとつの方法であった。そして、この場で写真を撮ることとは、いったい何なのかと思い続けながら、九龍城砦の中をさ迷い歩いていたような気がする」。
 本書を貫く宮本氏の眼差しは、『ランド・オブ・パラドックス』の写真家たちとも共通するようなクールなものですが、この言葉は、現代の写真家たちのクールな眼差しの出自とも言うべきものを、実直に語っているように思われ、印象的です。
 さて、このところ、若い世代による新しい写真がよく話題になっていますが、『生きている』は、そのなかでもひときわ注目を集めている気鋭の新進写真家、佐内正史氏のはじめての写真集です。
 彼の写真作品は、かの飯沢耕太郎氏をして「写真を見て驚いた。そこには写真家になるために生まれてきた男に特有の、天性の輝きが刻みつけられていた」、と言わしめていますが、写されているものは身近なものばかりでありながら、風景や事物を自在にフレーミングし、部分的に白黒写真を織り込みながら編まれた本書の頁を捲っていると、写真の魅力のすべてがつまっているように感じられてくる一冊です。
 言い換えれば、ここには、現代写真家に共通するクールな眼差しだけでなく、さまざまな映像の技法を無意識的に自在に駆使する、若い世代ならではのクールなスタンスが見受けられるように思えるのです。そこから浮び上ってくるのは、まさに天性の、あるいは無意識的に成熟した才能の、初々しい輝きでしょう。その才能が今後どのように発露し展開されてゆくのか、期待したいところです。
 ところで、岩波書店から、全40巻・別巻1という構成の日本の写真家シリーズの出版がはじまっています。作家性を重視したひとり一冊の編集、年譜などの資料も収録したこのシリーズの出版は、今までになかった規模の企画だけに、毎月の配本が楽しみですが、今回は第一回配本のなかから、日本のモダン・フォトグラフィーを代表する写真家、『渡辺義雄』、『石元泰博』の2冊を紹介しておきましょう。
 渡辺氏は「御茶の水駅」、「伊勢神宮」などの代表作、石元氏は「シカゴ、シカゴ」、「桂離宮」などの代表作で、よく知られていることと思われますが、このシリーズの写真集では、そうした代表作はもとより、さまざまな作品が編み込まれ、写真家の展開がよく受け取れるような編集がなされています。そこからは、代表作からだけでは、けっして伺うことのできない、巨匠たちの試行錯誤の軌跡もが、垣間見えてくるようです。
 サイズはコンパクトながらも、このように充実した内容のシリーズの出版は、日本の写真史を知るというだけではなく、先にとりあげたような今日の写真が意識的、無意識的に立脚しているであろう日本の近・現代写真の成果を、客観的に見つめ直す機会を与えてくれるという点においても、大きな意義があるに違いありません。