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[50年代を鮮明に思い起こさせる“プリミティヴ”な魅力:エルスケン『セーヌ左岸の恋』/日本カメラ1998年11月号:125]


 本書は、1925年に生まれ、90年にこの世を去った、エド・ヴァン・デル・エルスケンの処女作の、40余年ぶりの完全復刻版である。そして、初めての日本語版でもある。  このようないわゆる歴史的名作は、その復刻だけで価値があり、また興味深いものだが、今日こうして私たちが本書を容易に見ることができるようになったということには、それ以上の意義があるように思われる。
 まず、写真史的な位置を簡単に確認しておこう。アムステルダム生まれのエルスケンが、50年から54年にかけてパリに住み、ニューヨーク近代美術館の当時の写真部長エドワード・スタイケンに強く勧められ、本書を作ったのは56年である。エルスケンと並んで、現代写真のパイオニアと呼ばれている、スイス生まれのロバート・フランクが、55年にグッゲンハイム奨学金を受け、全米を旅し、『アメリカ人』を出版したのが58年、パリで活躍していたウィリアム・クラインが54年にニューヨークに戻り、『ニューヨーク』を出版したのが56年である。また、スタイケンが、「地球のすべての人間はみな一つである」というヒューマニズムのメッセージを押し出したと言われる企画展、『人間家族』をニューヨーク近代美術館で大々的に開いたのは、55年であった。
 細かにみれば、こうした位置はより複雑に捉えることもできるが、ここで重要なのは50年代に、現代写真のエポックメイキング的な出来事が、人々のこうした移動によって形作られたというイメージである。現代写真は、現在漠然と想像されるイメージより、はるかに流動的であり、またそれゆえに、真に未知の可能性に満ちており、さまざまな試行錯誤の過程にあったのだ。
 現在、エルスケンの『セーヌ左岸の恋』を、フランクの『アメリカ人』やクラインの『ニューヨーク』と並べて見るならば、写真史的にはもっとも異色に感じられるだろう。これはある意味で当然のことである。なぜなら、今日では、フランクの『アメリカ人』は、いわば現代写真の永遠のスタンダードであり、いささか粗野に見える『ニューヨーク』の手法も、後続の写真家たちによって幅広く踏襲されてきたからだ。逆に言えば、その後の流れにおいて、それらほどポピュラーになりえなかった、現実をドキュメントしながら虚構の物語を編み出す「ドキュ・ドラマ」と呼ばれる手法で作られた、『セーヌ左岸の恋』は、写真表現の価値観が混沌としていた50年代という時代を、もっとも鮮明に思い起こさせてくれる。
 プライヴェートやパーソナルといった50年代の写真表現が生み出した価値観は、今日の写真表現、とりわけ例えば、ニュー・ジェネレーションと呼ばれる潮流において、生々しく復権しているように見える。しかし、『セーヌ左岸の恋』と比べると、『アメリカ人』や『ニューヨーク』が、どうしても洗練されているように見えてしまうように、『セーヌ左岸の恋』における写真の“プリミティヴ”な魅力は、今日では復権しようがないほどプライヴェートかつパーソナルなものに感じられる。
 今日、本書の復刻が大きな意義を持つのは、こうしたことを鮮やかに照らし出すからにほかならないだろう。『セーヌ左岸の恋』の“プリミティヴ”な魅力は、写真表現の価値観が混沌としていた50年代という時代にしか、ありえなかったものである。今日、それにいかに憧れようとも、届きようがないという意味では、それを歴史と呼んでもよいかも知れないが、『セーヌ左岸の恋』という写真集からみれば、それは幸運と呼ぶべきもの以外の何ものでもないだろう。
 『セーヌ左岸の恋』を見ていると、ある種の郷愁を感じることを禁じえない。むろんそれは、そこで語られている物語によるものでもあるだろうが、より根底的には、その物語が、そうした幸運によってもたらされたものであるからに違いない。