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[既存の写真観に果敢に挑む「女」の視点:笠原美智子『ヌードのポリティクス』/日本カメラ1998年7月号:125]


ヌードのポリティクス―女性写真家の仕事  『ヌードのポリティクス――女性写真家の仕事』と題された本書は、多様な観点から捉えることができるであろう魅力的な一冊である。が、とりわけ写真表現という文脈から捉えるとき、きわめて啓発的かつ画期的な一冊として浮び上ってくるだろう。

 著者の笠原美智子は、東京都写真美術館の学芸員として、『私という未知に向かって――現代女性セルフ・ポートレイト』展や、『ジェンダー――記憶の淵から』展など、多くの企画に携わっており、本書は、そうした展覧会のカタログをはじめ、その他の媒体で書かれた文章を、大幅に加筆し、編まれたものである。

 啓発的と言うのは、多くの写真家や作品が紹介されている本書は、写真表現あるいは写真史の優れた解説書としても読むことができるからである。「この本には、一九八九年から一九九七年にかけて書いた、『女』の視点から創られた現代写真や、写真史の再解釈についての文章が収められている」、とあるように、本書に貫かれている視座は、これまでの写真表現の価値づけに対して根本的に批判的であるがゆえに、従来的な写真観を鮮かに照し出し、とおりいっぺんの写真表現の入門書より、はるかに多くのことがらをコンパクトに教えてくれる。

 しかしながら、このような読み方のみなされるのは、著者にとっての本意ではないだろう。たとえば、笠原はまえがきで、本書で取り上げられている女性アーティストをとりまく現状を、次のように辛辣に述べている。

 「彼女たちの作品は商業ギャラリーで取り上げられにくいためか、日本で紹介され論じられることは極めて少ない。たとえ紹介されても、肝心の作品の核心部分であるジェンダーの視点は、意図的にか無意識的にか、抜け落ち、あるいはあたかも数ある論点の中の一つであるが如く薄められて、今までの価値観にしがみつく人達にとって口当たりのいいように料理されてしまう。実際に『ジェンダー』という視点は、現代写真・美術を論じるときによく使われる『他者』や『異文化』『アジア』『マルチメディア』などのキーワードの一つとして、ゲットー化され、ある一つの分野に囲い込まれそうな危機に瀕している」

 たしかに、切実な問題、実践的な視点に根差しているはずの、「女性」や「ジェンダー」あるいは「フェミニズム」といった概念は、混迷し多様化する現代の表現を考えるときの、便利このうえない思考のツールに、いつでも容易に転化する。実践さえ伴わなければ、それらの概念は、ほかのどのような概念にも増して、表現を口当たりよく、きれいに整理してくれるだろう。笠原は、そのような現状に対して本書を、「私のこの本も展覧会も、限りなく大きな権威に向かうドンキホーテかゲリラ戦のようなものかもしれない」、と自ら位置づける。

 画期的と言うのは、まさにこの点に関してである。本書は、女性の著者によるほんとうに久々の写真の批評の単行本であるうえに、自著を明確に戦いになぞらえたという点においては、おそらく日本写真史においてはじめての一冊である。こうしたこと自体が日本の写真表現の後進性を示しているにせよ、あるいはそうであるがゆえに、本書の内容はもとより、笠原のこうした果敢な実践的な取り組みの姿勢には、最大限の敬意が払われてしかるべきではないだろうか。本書の背表紙に銀色に輝く『ヌードのポリティクス』という文字が、多くの人たちに届き、そして真摯に受け取られることを願わずにはいられない。