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[BOOK REVIEW:新着写真集紹介/nikkor club #160 1997 spring:94-95]


 日常のなかに潜む、非日常的な瞬間を切り取るカメラ・ワークで知られる、須田一政氏の写真集『人間の記憶』が出版されました。雑誌や展覧会などによる、精力的な発表活動を長年にわたって続けている須田氏は、日本の現代写真家のなかでも、最もポピュラーなひとりでしょう。しかし、いささか意外なことに、これまで写真集は3冊しか出されておらず、そうした須田氏の活動をまとめた本書の登場は、まさに待望のものといえます。250点近くの写真を収めた本書について、須田氏はこう語っています。
 「私の記憶を肩代わりしてくれるこの本の写真群は、必ずしも時間的経緯にそって組まれてはいない。記憶の蘇生という意味ではそれがもっとも自然なかたちといえるだろう。新たに組合わされた記憶と記憶の結びつきが、どのようなイメージで見る人に届くのか、私自身興味がつきない」。
 この作者の言葉は、重要なことを示唆しているように思われます。興味深いのは、本書が集大成と呼ばれるにふさわしい年月の作品を扱っているにもかかわらず、そうした写真集によくみられる、時系列による編集をしていないことです。そうではなく、作者は本書を新たな記憶と記憶の結びつきとして、読者へ提示しようとしています。近年、記憶ということがらが、写真表現のなかで中心的な位置を占めるようになってきましたが、この写真集は、須田氏の活動の集大成であるとともに、写真と記憶の関わりについての積極的な取り組みでもあると捉えられるでしょう。この意味で、須田氏の次のような言葉は、本書についてのコメントとしてだけではなく、現代の写真表現を考えるための座標軸としても受け取ることができるように思われます。
 「さまざまな記憶は自らの顕在部分に閉じこめることが出来ないため、どうしてもある媒体に頼る。写真はその意味ではもっとも強力な媒体だ。証拠であり、記憶であるこの媒体の中から人は記憶を拾い出す」。
 潮田登久子氏も、個展や企画展でのキャリアを重ねている写真家ですが、今回出版された『冷蔵庫』は、共著を除けば、はじめての写真集です。ドアを閉めたところと、開けたところがセットにされた、さまざまな家庭の冷蔵庫の写真は、それが定点観測風に淡々と撮られているがゆえに、じつに多くのことを読者に語りかけてくるでしょう。しかし、これらのユニークな写真を、どのように呼ぶべきでしょうか。潮田氏は、面白いエピソードを述べています。
 「私の手を離れて作品となったそれらは、実に様々な受け止め方をされました。コンセプト写真、フォト・エッセイ、小さなルポルタージュ、新手のドキュメント等と、きっとどれも本当なのでしょう」。
 明快なコンセプトによって、ルポルタージュやドキュメント的な要素を含み込んだ潮田氏の作品は、まさに記憶ということがらに関連して語られることがふさわしいような質を持っています。現代の写真表現が、記憶ということがらを徐々に膨らませながらたどりついたところ、それは、このエピソードが語るように、どのようなジャンルにも当てはまるようでありながら、そのいずれにも従属しない地平なのかもしれません。
 荒木経惟氏の『猥褻寫眞と*汁綺譚』は、全20巻が予定されている荒木経惟写真全集の第14巻です。ここ数年、書店に置かれている写真集は、荒木氏一色といっていいほどの人気ぶりですが、本書は題名のとおり、性的なことがらがテーマになることが多い荒木氏の作品のなかでも、猥褻と呼ばれるような写真が編まれています。むろん本書を、猥褻とは何かと問いかける写真、あるいは、性と写真表現といった側面から捉えることも可能でしょうが、本書のかたわらに、下川耿史氏が編んだ『世紀末エロ写真館』という一冊を置いてみると、少し違った興味が浮び上ってきます。
 下川氏は、こういっています。「この本の目的は、十九世紀末から二十世紀初めにかけて、世界各国でいっせいにカメラが使われ始め、エロ写真がどっと撮影されたが、それがどんなものだったかを提示することにある」。『猥褻寫眞と*汁綺譚』と『世紀末エロ写真館』に収められた写真は、撮られた時代が1世紀近く隔たっていながらも、そのイメージが、どこかしらとても似かよっているように見えます。とするなら、荒木氏の作品もまた、ある意味で、とても伝統的な写真表現に立脚しているとも考えられるでしょう。いささかこじつけめいているかも知れませんが、このような類似にも、記憶と写真表現の関わりについて考えるヒントがあるように思われるのです。
 『ヨーロッパの写真史』は、写真の草創期の研究のためにパリ大学に留学したという経歴を持ち、現在は東京都写真美術館の学芸員である、横江文憲氏による著作です。現在、写真をめぐった書籍が多く刊行されるようにはなりましたが、写真の歴史についての書籍は、ほとんどといっていいほど刊行されていません。そのような現状のなかで、写真が誕生したヨーロッパでの、初期からおよそ100年間の歴史を、代表的な事例と主要な写真家の表現の軌跡でめぐった本書は、貴重な労作であるといえるでしょう。そして本書は、歴史という過去を扱っているという点だけでなく、現代の写真表現のなかで、徐々に重要性を増してきている記憶ということがらの源を知るという点においても、私たちに多くのことを教えてくれるに違いありません。