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[BOOK REVIEW:新着写真集紹介/nikkor club #162 1997 autumn:98-99]


 奈良原一高氏は、生と死、光と闇、時間と記憶といった深遠なテーマをつねに背後に孕みながら、独特のリアリティを持つ写真表現を展開してきた写真家ですが、新刊の『ポケット東京』は、そうしたイメージとは少々違った趣が見受けられる写真集です。
 大きな手術を受けた入院生活のあと、一台のシンプルなカメラを持ち、東京を歩いて撮られた本書に収められた写真は、どれもが瑞々しい発見がストレートに捉えられたものばかりです。東京を撮るのは、写真をやりはじめた大学院生の頃以来だと言う奈良原氏が、「それから40年の歳月をへだてた今、再び、初めて写真を撮りだすような気持ちで東京の街角をカラーで収めました」と述べるように、この写真集には、カメラを持って街を歩く時の、あの独特のときめきが満ちています。
 とはいえ、むろん本書は、そうした瑞々しさのみで成り立っているわけではありません。「生きた街を撮ることは、これまでに経験した死の記憶を乗り越える過程でもありました。それは何処までも透明に続く時間帯の襞のなかに身を任せて漂うくらげの幸せのような、それらの日々のなかで、写真は光のスープのように思われたのです。…僕は死者の眼と生者の眼とをもって東京の旅に出たのです」。こう奈良原氏が言うように、本書の瑞々しさのなかには、奈良原氏のキャリアを形作ってきた生と死、光と闇といった事柄の原形とも言うべきものが、見事に溶け込んでいるように見えるのです。
 『武蔵野』は、幅広い分野、独創的な作風で活躍し続けている大倉舜二氏が、60年代にも撮ったことがある武蔵野を再びテーマとし、90年代の武蔵野の光景を編んだ一冊です。
 武蔵野について大倉氏は次のように述べています。「東京人は武蔵野が好きだ。心の拠り所にしているところがある。現在、点や帯状に僅かに残っている、公園や上水路脇を郊外的なるものとして安心材料にしているのだ。漠然として捕らえどころのない東京には、武蔵野というくくりは都合がよい。…今や武蔵野は完全に幻想になった。ここらで日本人は、あらゆる呪縛から解かれてもよいころではないのだろうかとも思う」。
 そのような幻想としての、いわば牧歌的なイメージの武蔵野は、国木田独歩の『武蔵野』に端を発していると、大倉氏は言います。こうした認識のもとに、90年代の武蔵野のリアルな姿を捉えようとした本書は、独歩的武蔵野、そしてかつて自身が写した武蔵野への果敢なチャレンジでもあると言えるでしょう。したがって、ここには都市と自然の調和ではなく、私たちの身の回りにありながらも、独歩的武蔵野の幻想で覆い隠されていた、その不調和がじつにスリリングに浮び上っているのです。
 『俗神』『ヒロシマ』『砂を数える』など、日本人の社会と文化を鋭く見つめる丹念な仕事で知られる、土田ヒロミ氏が東海道をテーマに撮った、『「広重五十三次」を歩く』が出版されました。
 本書は、土田氏の写真が、東海道五十三次をめぐる文章とともに編まれているガイドブック風の本ですが、写真集として見ても、広重の絵をテキストに、土田氏が研ぎ澄まされたカメラワークをいかに発揮しているかが、とても興味深く展開されている一冊です。「現実の風景を前にして広重の眺めたであろう地点を安易な記念写真にとどめずに、執拗に分け入って探しだす写真行為を自ら課すことで、実は歴史や逸話、伝説などの文字表現とは異なる、知を超えた身体的生理的体験による実感をともなった旅を約束してくれる」。このように土田氏が述べるように、本書に収められた写真は、いっけんとても静的な風景写真に見えながらも、様々な思考の源泉となるような動的な視座が凝縮されています。
 こうした意味で本書は、写真集や、読み物、ガイドブックとして楽しめるのはもちろんのこと、もう一歩進んで、旅において写真を撮ることのテキストとしても、とても優れたものであるように思われます。
 『野鳥賦』は、日本の野生動物と自然を撮り続け、一年のうち撮影のために東京を離れている日数が200日を超すという久保敬親氏が、鳥の写真をまとめた4冊目の写真集です。
 写真集を捲っていると、その一枚一枚が、じつに絶妙な瞬間、絶好の空間のなかで捉えられていることに驚かされます。むろんそれは、たんに偶然に捉えられたものであるはずがなく、久保氏の粘り強い姿勢の賜物であることは疑いえません。そうでありながら、努力を感じさせないくらいに見事に写しとられた、自然と鳥のすばらしい様々なハーモニーに驚かされるのです。「私はカメラや写真が好きでこの世界に入ったのではない。被写体である鳥が好きで写真家になった」と、断言している久保氏ですが、その彼が言う「結局のところ、私の思う私にとってのいい写真を撮るためには、自分の好きな場所に足しげく通い、居座り、心ふるわす一瞬を待つしかない」という言葉は、写真表現全般に通ずるような重みを持っているように思えてなりません。
 巻末に付された撮影ノートには、鳥の名前や撮影地、撮影データなども細かく記されており、それを読むことで本書はいっそう味わい深いものになることうけあいですが、それだけでなく、実際にバード・ウォッチングや鳥を撮影するときの、心強いガイドにもなってくれることは間違いないでしょう。