texturehometext archivephoto worksaboutspecialarchive 2ueno osamu

[現代写真との対話11:「ゆらぎ」と「自己」/日本カメラ1996年2月号:188-189]


 現代写真に大きな影響を与えていった、リー・フリードランダー(Lee Friedlander)という写真家は、「カメラとは単にものを映す水たまりであるわけではなく、写真もまた必ずしも鏡であるわけではない。その鏡は、もつれた舌によって語りかけてくるのである」、といっています。この言葉には、表現の価値観が疑われ、ゆらぎを孕むようになった現代写真の在りようが、よくあらわれているように思われます。では、そのゆらぎとは、どのような関係において生じたものなのか。今回は、その辺りを考えてみたいと思います。

 1950年代末に出版された、ロバート・フランク(Robert Frank)の『アメリカンズ(The Americans)』が導き出した写真表現の認識の変容は、60年代半ばに開かれた展覧会『コンテンポラリー・フォトグラファーズ』にみられるように、言説的な転回として展開され、自己言及的な質を写真表現にもたらした。――前回は、このような現代写真の構図をめぐってみました。
 言説的? 自己言及的? そのような堅苦しい考え方や構図が、いまの私たちの写真表現にいったいどのような関係があるのか、と思われるかもしれません。また、90年代の写真表現は、そのように写真が自らの限界を問い、自らを呪縛してしまうような考え方をのりこえたところにあるべきだ、と思われる向きもあることでしょう。はたして、今日の私たちは、そのような構図から、まるで関係のないところにいるのでしょうか。あるいは、関係があるとしたら、どのような関係が展開されているのでしょうか。今回は、いますこしその辺りを掘り下げてみようと思います。
 『コンテンポラリー・フォトグラファーズ』の出品者のひとりであり、その後の現代写真にも大きな影響を与えていったリー・フリードランダーは、70年にはじめての写真集『セルフ・ポートレイト(Self Portrait)』を出しています。ここに収められた写真は、題名にあるとおり自写像なのですが、伝統的なセルフ・ポートレイトとは趣を異にしています。彼自身の姿がはっきりと写っている写真はほんの数枚で、ほとんどの写真は、ものに映った彼の影や、鏡やガラスに映った彼の姿なのです。
 いまでは、そのようなセルフ・ポートレイトを見ても、わたしたちはさほど驚きはしないでしょう。けれども当時、『セルフ・ポートレイト』という題名が冠されながら、はすに構えたとでもいうべき自写像で編まれたこの写真集は、とても新鮮なものであっただろうと思われます。フリードランダーは、なぜこのような作業を写真集として出すに至ったのでしょうか。このことを考えようとするとき、そのいきさつに触れた、あたかもつぶやきのように書かれたまえがきは、彼の自写像そのものに負けず劣らず興味深いものです。その前半を、引いてみましょう。
 「ここに収めたセルフ・ポートレイトは、6年間に及んで撮られたものだ。それらは、特にあらかじめ決めて撮られたわけではなく、どちらかといえば、私の作業の周辺に現れたものである。ストレイトなポートレイトとして始めたのだが、すぐに、私の写真の風景の中に、時々、私自身を見つけることになったのである。そのような私自身を、侵入者と呼んでもよいだろう。ともあれ、それらは、何らかの計画に従ってではなく、むしろその都度のもう一つの発見として、ゆっくりと現れてきたのであった。私は私自身を、作業の方向性を変えるかのように在り方がずれていく、登場人物ないしは要素と見なしていたのだろう。はじめ、写真の中の私の存在は、私を魅惑しかつ当惑させるものだった。しかし、時が経つにつれ、それは写真の中の異なった着想であることを超えていき、そうした感情に、忍び笑いを禁じ得なくなっていったのである」。
 60年代とは、写真メディアの現実性や客観性が、テレビという新たなメディアに取って代られていき、また、フォト・ジャーナリズムにみられるような、何らかの意味でありうべき世界を映し出すメディアとしての写真が、疑われはじめた時代です。そうした時代に、写真表現を意識化していったフリードランダーにとって、写真を撮ることとは、もはや透明に映し出すべき対象を撮ることではありえず、写真を撮るという行為の中で対象を見出すことでもあったでしょう。いいかえれば、写真を撮る自分と対象との関係がきわめて不安定になったそのような時代において、写真を撮ることとは、その行為の中で、自分と対象の関係を探ることにほかならなかったでしょう。ここに書かれているのは、そうした中で、彼が特に自分を撮ろうとしたわけではないのに、写真の中に写り込んでいる彼自身を発見していった様子です。
 フリードランダーは、写真表現の在処が問われる時代にあって、写真の中に自身を見出し、その在処が自分の中にあることを確認したのでしょうか。どうも、ことは、そう単純ではなさそうです。彼が自分の写真の中に見出した私、それはいうまでもなく、写真を撮る私です。けれども、それは同時に彼を魅惑しかつ当惑させるような侵入者であり、作業の方向性を微妙にずらしていく、いわば他者としての私でもあります。では、なぜそれが、他者としての私でもあるのでしょうか。
 写真を撮る私とは、自己にとってきわめて自明のもののようにみえる存在です。しかしそれは、撮られた写真において、その存在を感知されても通常は意識されないものでもあるでしょう。自己と対象の関係を写真表現において探るためには、まず、写真を撮る私がどのような存在であるかを写真において語りえなければなりません。にもかかわらず、撮られた写真においてそれは、いつもすでに消え去ったもの、撮られた写真の無意識とでもいうべきものになっていて、けっして写真においては語ることができないのです。それゆえ、その探求は、撮られた写真の無意識、つまり他者としての私を媒介にしてしか、なされえないことになるでしょう。
 フリードランダーが『セルフ・ポートレイト』で体現しているのは、たしかに、写真を撮る私についての自己確認です。しかしそれは、写真を撮る私と対象との根源的な隔たりを、他者としての私を媒介にすることで、かろうじて保たれる関係についての確認なのです。まえがきの後半では、そのような錯綜した関係においてはじめて、対象が写真を撮る私に関係づけられる様子が、よく描かれています。
 「人が自分の周囲や自分自身を見つめるのは、自己への関心によるものであろう。この探求は、個人的に芽生え、私の拠り所となり、写真を作る動機となっていった。カメラとは単にものを映す水たまりであるわけではなく、写真もまた必ずしも鏡であるわけではない。その鏡は、もつれた舌によって語りかけてくるのである。目撃者が生れ、写真的な時間の中でパズルが合わせられる。それは、実に単純かつ完全だ。心の指が、愚かな機械のシャッターを押す。すると、それは時を止め、隘路が包合するもの、光が朽ちさせるものを留める。風景がそれを見る者に語りかけるのは、そのような時なのだ」(強調引用者)。
 現代写真において表現の価値観が問われるようになったこととは、実践的な側面において、写真表現の在処が逆に問われるようになったということでもあります。その実践は、こうして避け難く自己言及的な質を孕み、かつそのことによってのみ、写真表現の在処がかろうじて関係性として実現されるような構図における言説的な過程を、写真表現に関わる者に強いることになるでしょう。また、そうした言説的な過程によってのみ、写真表現が自らを位置づけることができるのであるとするなら、それはのりこえる、のりこえないというような選択ができる類いのものでは、ありえないでしょう。連載のはじめに、価値観を問う以上、難しさを意識することは、現代写真に関わる条件とでもいうべきものだ、ということを述べましたが、その条件はまた、このような構図をたえず要求するものでもあるのです。