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[現代写真との対話7:現代写真における認識の変容とは/日本カメラ1995年10月号:166-167]


 50年代頃までの写真と、それ以降の現代写真と呼ばれているものを比べてみると、そこには、根本的な隔たりがあることに気づきます。そこでもたらされた認識の変容が、いわば感覚のすみずみにまで染み渡っている私たちにとって、現代写真の独特な性質は、いっけんとても自然なものに思われるかもしれません。しかし、それゆえ、その独特な性質は、今日たんなる惰性と化している恐れもあります。だとすれば、現代写真の独特な性質がはらむ奇妙さを、考え返してみる必要があるのではないでしょうか。

 ここまでの数回、ほんとうにおおまかにではありますが、写真が19世紀に誕生してから1950年代頃までの写真の歴史をたどってきました。その際、さまざまな写真家の作品の変遷としてというよりも、きょくりょく、写真を支えた諸々の条件が、どのように写真表現における考え方と関連しながら変容してきたのか、ということをめぐることに重点を置いてきました。そのようにしたのは、写真表現を支えた枠組みとしての文脈を捉えることを重視したことが大きな理由ですが、もう一つの理由として、現代写真においてあらゆる価値観が疑われている以上、写真家や作品というイメージを自明視すべきではないと思われた、ということがあります。
 逆にいえば、50年代頃から現在に至るまでの、現代写真における写真家や作品は、それ自身に対する疑いをすでに含み込んでいるという点で、根本的にとても独特な性質を持っています。それゆえ、現在の私たちが思い描く写真家や作品というイメージを基に据えながら写真史をたどってしまうと、けっきょくは現在の写真表現の枠組みで、過去の写真を見ることにしかならないように思われたのです。写真史をめぐる際に、序章の一部を引いた『写真の歴史』という本で、イアン・ジェフリーはこうした現代写真の独特な性質について、つぎのようにいっています。
 「写真の流れのなかで現代と隣接する時代には、新しい自意識と先鋭な伝統感覚の両方が刻みこまれている。1950年代までの写真家たちはその写真が提供される社会のために働いていた。…あるいはスティーグリッツのように、彼らは個人を超えた真理というものを明示しようと努めていた。いずれにしろ、彼らは自分自身を超えてしまうような理念や力に恭順の意を表していたのである。けれども1950年代以来、こうした個人を超える力というものに疑問符が打たれるようになる。写真家たちはいまだ自然と社会とに焦点を合わせ続けていたが、次第に個人的な視座を全面に打ち出すようになっていった。…その直前の時代は影響力の大きい時代であったが、それは従うべき模範というよりむしろ振り捨てるべき重荷としてなのである。写真の現代史は連続的であるより反作用的であり、自己表現と自己否定という二つの極限のはざまを揺れ動いている」。
 ここで語られていることは、50年代頃までの写真と現代写真を隔てるものは、たんなる時代にともなった写真表現の変化というものではなく、個人を超える力を疑い、変化の連続性を切断し、否定する自己意識そのものを表現の基に据えるという認識の変容である、ということでしょう。このようにいうと、この変容は、今日の私たちにはあまり関係がないものに感じられるかもしれません。しかし、果たしてそうでしょうか。たとえば、〈写真表現のさまざまな方法は、すでに出尽くしているのだから、そうした方法を自由に選び、やりたいようにやれば良い〉というような言葉は、誰しも耳にしたことがあると思います。このような言葉は、歴史の連続性を切断し、自己意識を基に据える姿勢を抜きにしては、けっして成り立ちえないものではないでしょうか。
 また、このような現代写真の独特な性質は、ここまでたどってきた歴史的な写真の世界と比べて、とても奇妙なものでもあります。なにしろ、そこでの原理が、連続的であることではなく、反作用的であるということなのですから。この連載のはじめに、この十年ほどの間、写真はギャラリーや美術館、雑誌や写真集などさまざまな場で注目されるようになり、私たちは、時代やジャンルや国境を問わず、そのニュアンスとでもいうべきものを楽しむようになった、という話をしました。そういった状況もまた、反作用的であるという現代写真の原理の賜でもあるといえるでしょう。このような観点から、今日の写真表現を捉えるとき浮び上ってくるのは、さまざまな歴史や価値の産物としての作品をできるだけ享受しようとはするものの、そこでの歴史観や価値観そのものには、驚くほど冷笑的な私たちの姿ではないでしょうか。
 このことをもう少し考えてみるために、おそらくもっともよく知られている歴史的な写真家の一人である、ユジェーヌ・アッジェ(Eugene Atget)を例にとってみましょう。アッジェは、船員や役者といった職を経て、19世紀末から20世紀初頭にかけてのパリの建築物、室内装飾、さまざまな職業・階層の人間などを、膨大な数の写真によって記録しました。そして、自らの写真を“画家のための資料”と称し、貧しく不遇のままに終った生涯は、死後のめざましい再評価と対になって、逸話としてよく語られるところのものです。
 しかし、このようなアッジェの評価について、「一万点の集蔵体に、さまざまな偏った注目が集まり始めるが、どの見方もある一定の美学的または形式的な点を主張するための意図的な選択の結果だった」、という美術評論家のロザリンド・クラウスは、その後も行われ続けているアジェに向けた評価のどれもが、全作品を統合する作者の意図を解釈しようとするものであることを指摘し、つぎのように述べています。「アッジェが自らの画像に適用したコード化の体系は、自分が仕事をした図書館と地誌学コレクションのカード・ファイルに由来しているのである。…アッジェの作品は、彼自身はその考案に何ら関与せず、そして作者という言葉が無関係である目録の函数であることは、明らかだと思われる」(『オリジナリティと反復』)。
 これを別のいい方でいうなら、美的な様式や作者自身の意図とは無縁な、当時の制度的な記録の形式に沿ってアッジェは写真を撮っていたのだが、そうであるがゆえに膨大な数の写真が、反作用的に、その後の美術や写真の解釈を生み出す素地となった、ということでしょう。不遇な環境にもめげず、来る日も来る日も大きなカメラをかつぎ、自身のこだわりを捨てず写真を撮りつづけるというアジェを想像し、残された写真を見ることは、なるほど感動を誘います。けれども、そのように見るときすでに私たちは、そこに刻まれているかもしれない歴史観や価値観を無視し、現代写真に独特な自己意識から生れる、写真家や作品というイメージを投影しているにすぎないのかもしれないのです。
 こうしてみてみると、現代写真における認識の変容は、今日の私たちに関係がないどころか、感覚のすみずみにまで染み渡っているとすらいうべきものであるようにみえます。そして現在、もしそのような変容が、50年代のように写真表現を考え、切り開いていこうとする活力となっているのではなく、さまざまな写真表現を享受しつつも冷笑するような、惰性的な感覚となっているのだとすれば、必要とされているのは、いたずらに〈写真表現のさまざまな方法は、すでに出尽くしているのだから、そうした方法を自由に選び、やりたいようにやれば良い〉などと述べ立てることではないでしょう。そうではなく、今重要なことは、そうした感覚そのものが、現代写真と呼ばれている空間のなかで、どのように形作られ、どのように内面化され、どのような状況に私たちを位置づけているのかということを、複雑になることを厭わずに考え返してみることではないでしょうか。