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[日本の写真論を読む10:多木浩二『眼の隠喩』2―表象と解体―写真の可能性へ/日本カメラ1994年10月号:164]


 自身が属し生きる時代を捉えようとすることには、かならず根底的な困難がつきまとう。なぜなら日常において私たちが、自由で自律的であると感じている主体そのものが、すでに無意識的なイデオロギーに規定された産物だからである。そしてそれが捉え難いのは、無意識なるものが内在性の深くに埋め込まれているからではなく、その逆に、相互関係の現象として自身の外部にありながら同時に私たちを貫いているものだからにほかならない。『眼の隠喩』において多木が浮び上らせようとするのは、無意識に規定されたそのような場を構成するものとしての視線の在りようである。
 「この書物の主題は視線である。いうまでもないが、この視線は実際に肉眼で対象を見詰めることだけをさしているのではない。比喩的にとよびうるすべての行為を包括する枠組みである。…視線とは私が見られることも意味し、それは現実に私を世界に織りこんでいく外からの拘束にもなる」。
 多木が同書において写真について語るときも、つねに捉え返されるのは、作家の意図や作品の主題ではなく、無意識的にそこに構成されていた視線の在りようである。例えば彼は、フランス19世紀の写真について次のように語っている。
 「私たちが写真からうけとるものは、多くの場合、人びとがあらかじめ世界に注ぐまなざしに他ならないのである。ペルティヨンの場合、対象を生理学的情報に分解し、再構成(記述)する視線である。司法写真のまなざしはもはや写真の問題というより、文学におけるゾラを含めたその時代一般にひろがる記述のスタイルとパラレルな問題である。都市改造者オースマンと写真記録者マルヴィルの場合にも同じような類似がみられた。オースマンにとって都市は解剖学的な用語で語られうる人体に比すべきものであった。切開し、つなぎなおすものである。マルヴィルにとって路地は視覚的に計測されるべき空間であった。それらはブルジョワジーにおける歴史のまなざし、自己自身の歴史化へ再統合されていた。したがってその科学的な思考はロマンティシズムとわかちがたく結びついていた。…写真は言語や世界との関係をあらためてとりつけながら、科学的なまなざしの担い手になったのである。それは『世界』を構成するその時代のイデオロギーであり、別のいい方をすれば、生産力からみた世界像であった」。
 こうして多木において写真は、19世紀の合理主義を成立させた視線の差異と同一性を徴づけるもの、つまり人々の無意識を貫いていた諸々の制度的布置を浮び上らせるものとなる。しかし、彼の考察に特徴的なのは、写真がそうした視線の制度的布置の表象であるだけでなく、同時にそれを打ち砕く可能性を秘めた力として捉えられていることである。先の文章に続けて、彼はこういっている。
 「十九世紀的『知』は、写実主義をうみだしはしたが、写実主義は写真の発明の直接的な影響という以上に、視覚的な世界を科学的思考によってあらかじめ分節化し表記する方法であった。写真の方がこうした先在するイデオロギー(視線)を解体する能力をもっていたものではなかったのか」。同書において随所に現れるこのような観点が明確に語られているのは、ロラン・バルトの写真論についての考察においてであろう。「バルトが『写真のパラドクス』とよんだプロセスは、写真の問題というより、砕けかけた視線にいかに人間のしるしをつけるかという『文化』そのものの自己保存のプロセスにほかならなかったのである。とすれば写真がいかに飼いならされたイメージであるかを語りつつ、バルトが直観していたのはこうしたまなざし、どんな暗がりももたない透明で明るく、しかも決して人間に再帰することのないまなざしの、暴力的な可能性ではなかったろうか」。
 多木の写真論の画期的な点は、従来の写真論のように現実との関係において写真を捉えるのではなく、「世界」や「知」や「文化」という制度的布置としての現実そのものを吊り支え、かつ生み出す項目として写真を位置づけたことにある。別のいい方をすれば、中平卓馬が従来の写真論を乗り越えようとして表現の自己言及性を体現したとするなら、多木が露わにしたのは、自己言及性による差異化そのものを可能にする位置における写真の機能である。この観点が80年代の写真表現に大きな影響を潜在的に与えることになるのは、自己言及性を体現するような方位が不可避的に写真を語ることの否定に行きつくのに対し、多木が見出したような観点のみが写真について語ることを構造的に肯定しえたからであった。しかし注意しなければならないのは、このような観点が80年代特有のオプティミズムと結びつくとき、写真に魅入られる構造を語ることによって解明しようとする行為は、写真について語る行為によってそれに魅入られることを信じる営みに、いともたやすく転化してしまうことであろう。写真について語る限り、写真が何らかの力を持つことは否定できない。だが、だからこそ写真について語ることが、写真の力を無限定に信じることと厳しく峻別されなければならないことを、今日の私たちは忘れてはならないだろう。

*注記なき引用はすべて『眼の隠喩』(青土社)より