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[日本の写真論を読む6:重森弘淹『写真芸術論』2―反映的リアリズムへの批判/日本カメラ1994年6月号:136]


 現実の反映としての写真の機能にリアリティを見出していたドキュメントに対して、重森弘淹は次のようにいっている。
 「ひとつひとつのドキュメントが発表された当時劇的であり感動的であったそれらに、いまかぎりない空虚感をわれわれがおぼえるとすれば、あらためて歴史とは劇的でもなければ、感動的な外観によそわれているものでもないことを自覚するほかはないのである。…今日の世界は、体験や知覚によってとらえることはできない。…科学の発達は逆に世界をいっそう不可思議なものとしたにすぎぬといえないだろうか。こうなると、映像文化の出現によって、事実世界が既成の観念世界に衝撃を与え、その結果生まれはじめた今世紀後半の事実信仰は、ぐらつかざるをえなくなる。マグナムのドキュメントが感動を喪失したというより、われわれの事実信仰に亀裂が生じたというわけではないのだろうか」。
 写真が現実をストレートに再現することが、ある価値として成立するのは、見る−撮ることにおける写真家の体験の同一性が事実性として保障される限りにおいてである。その事実性そのものが疑われるとすれば、一方で体験の同一性が、他方でそもそも再現されるべき現実とはいかなるものかということが不可避的に問われるだろう。「自己を疎外しようとする機械と、機械を統御しようとする主体との葛藤のプロセスそのものが記録行為であり、その行為の軌跡が映像なのである。したがって映像には、『非人間的にして人間的な』質の、新しいリアリティがつねに表象されているのである」。「事物や現象の背後に真実があるというのであろうか。…実のところ真実とはある観念でしかあるまい。もし、真実が認識しうるような存在として対象するとすれば、事物や現象をとおしてでしかありえない」。『写真芸術論』を貫いているこうした両義的な語調は、反映論的リアリズムを批判し乗り越えようとする重森が、リアリティを、不変的実体の総体としての現実における体験的な事実にではなく、諸々の関係の内に現象するものとして捉えようとしていることに由来するものである。
 こうして、リアリティが様々な関係性の場に現象するものであるとすれば、まさにそのような現象が生起する場として、写真のリアリティが捉え直されることになるだろう。重森はこのような視座を基にして、写真のリアリズムを次のように語る。「現象とはつねに外部状況であるとともに、また内部状況であるのだから、いわばその関係としての総体をとらえるようなリアリズムでなければならない。これまで写真がなまな現実を対象としてきたことから、現象をもっぱら外部状況としてとらえてくるリアリズムにたっていたのである。しかし、外部状況はつねに内部状況として意識されねばならないし、そうされるかぎり、その関係の総体をいかにとらえるかが、新しいリアリズムの課題でなければならない」。
 では、そのようなリアリズムとは、どのようにして可能になるのか。「現象を未知なる可能性として見るとき、それをとらえるわれわれの視点もつねに未知なる可能性をとらえうる地点にたたねばならない。それは固定した視点による現象の裁断ではなく、多様に現象する現象を多様なままにとらえる複数の視点の確立でなくてはならない」。ここで語られている多様な現象・複数の視点といった言葉は、今日の写真表現の符牒にもなっている言葉だろう。だが忘れてはならないのは、現象の背後に本質を捉えるという名目のもとに、設定された本質によって現象を裁断する反映論的リアリズムへの批判において、ここではそれが語られていることである。いいかえれば重森は、設定された本質を理念とするようなリアリズムに対して、内部状況においてつねに混沌としたイメージとして捉えられる現象と、外部状況において恣意的な実在としてあらわれる現象の絶えざる弁証法そのものを理念とするようなリアリズムを語っているのである。
 しかし実際には、このような理念とは、語りうるものではなく、実践として示されるほかないものである。この意味で『写真芸術論』の両義的な語調は、それ自体を理念とするような視座から導かれたものでもある。だが、もしこれを理念の放棄と捉えるならば、重森のいうリアリズムはすぐさま場当り的な関係の相対主義に転化してしまうだろう。このようにしてみるとき、一方で自己言及的に体験の事実性を保障しながら、他方で多様な現象・複数の視点といった符牒そのものを本質として設定し、関係性の場に埋没している今日の写真表現は、重森が指摘した写真表現におけるリアリズムの陥穽から一歩も抜け出ていないというべきではないだろうか。

*引用はすべて『写真芸術論』(美術出版社)より