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[日本の写真論を読む4:名取洋之助「写真の読みかた」2―反語的「読みかた」へ/日本カメラ1994年4月号:152]


 「写真の大量印刷法の完成は、それまで主として個人的な目的のもとに撮られていた写真が、多くの人々のための分野に進出する力を与えました。…現在、私たちのもっている知識のかなりの部分は、写真によって得たものですが、そのほとんどすべては、印刷された写真によるものですから、写真の大量印刷術の発明は、写真術の発明と同様、写真史の上での大きなできごとであり、とくに、写真を見る立場のものにとっては、大きな意味のある発明でした」。
 『写真の読みかた』の前提に据えられているのは、写真の大量複製と不特定多数の読者の誕生を近代の成果として捉える、このようなメディア史観である。こうした史観を軸に、一個の写真家であることを越え、多岐に渡る仕事を手がけていった名取洋之助は、作者−作品−鑑賞者という閉域と、そこでの恣意的な判断に支えられてきた自己目的的な写真表現を、「いままでは、コミュニケーションの手段として使われている写真でさえ、あたかも美術品でもあるかのように鑑賞されることがあまりにも多すぎました」と批判する。「写真を写すこと自体は目的でなく、手段にすぎない」。写真は撮る−見るという単純な二項関係に収まるべきものではなく、印刷物になり大衆に見られることによってはじめて意義を持つものであるという考えによって写真表現は、多数の要素が互いに複雑に結び付いてコミュニケーションを形成する、一つのシステムとして捉え直されることになる。
 「これからの写真、とくに私たちが日常、眼にする新聞や雑誌の写真を、よりよく理解するためには、記号としての写真の特性を心得ていることが必要となってきます」。名取が、見ることの閉域から読むことのシステムへと価値を転換するために行ったのは、「『物』の実体でなく、その代理をする」記号としての写真の位置づけだった。『写真の読みかた』に一貫しているのは、写真が生み出す諸々の意味を、「カメラマンと、カメラマンが写した写真を使う編集者と、編集者がいつも念頭においている読者と、この三者が要求する嘘の総合された結果」として、つまり写真メディアの枠組みと表現の技術によって導き出される、記号の修辞的な効果として説き明すことである。
 このような観点から見出される写真表現の可能性を、名取は次のように語っている。「写真という記号を、最初に撮られた目的にも、写真を写した人にも関係なく、また、たんなる記録としてでもなく、すべて独自の立場で、素材として使いこなした芸術が生まれるべきだといつも考えています」。「写真は何枚か使うことによって、一枚の写真としての弱点を克服し、物語ることができます。現実の流れから切ってしまうことができます。現実の束縛から逃れることができます。それが、新しく写真が獲得した方法であり、場なのです」。
 こういった名取の主張が、今日では古びたものにみえるのは否めない。なぜなら、ちょうど『写真の読みかた』が書かれ出版された50年代から60年代にかけて、彼が語ったような写真メディアの役割は、テレビという新しい映像メディアに瞬く間に取って代られていったからであり、それにともない、同書で例に挙げられていた雑誌『ライフ』や展覧会『ザ・ファミリー・オブ・マン』を典型とする、写真の修辞法を大衆に向けて効果的に用いていく方法論が批判の爼上にのせられていったからである。言い換えれば、彼が見出した可能性を支えたメディア史観の近代性そのものが疑われるような実感が、写真表現に急速に浸透していったのである。
 大衆に対してメッセージを投げかけるのではなく、個人的・内面的な表現として、また読むことで理解するのではなく、むしろ見ることで感じることの中に、いわば名取が見出した場の対極に、その後の写真表現は可能性を見出そうとしていった。社会的な役割を失っていった写真がそこで拠り所にしたのは、個人的な経験、内面的な感動といったものの確実性を信じることだろう。だが、信じることは経験や感動が確実であることの保障にはならない。にもかかわらず、ここで写真が経験や感動を語りえるものとして成立しているのだとすれば、それは写真の修辞法がかろうじて制度として機能しているからである。だとすれば今日、名取が行った写真表現の意義の変更が浮び上らせた写真メディアの構造は、『写真の読みかた』を反語的に読むことによって、個人や内面を貫くものとしてより複雑に捉え返される必要があるように思える。

*引用はすべて『写真の読みかた』岩波新書より