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[現場の豊かさを伝える/ジェイン・ケリー編『ヌードの理論』/日本カメラ1994年3月号:119-120]


 『ヌードの理論』と題された本書は、もともとは「写真家が自身の作品と技術を語る」シリーズの一冊として、アメリカの現代写真家ラルフ・ギブソンが主宰するラストラム・プレス社から刊行されたものである。したがって本書の内容は、「理論」という言葉から想像されるような系統立った論述というよりも、写真家達が作品を制作している現場での声を編んだものであり、写真を意識的に撮ったり見たりした経験がある人にとっては、とりわけ親しみやすいテキストになっていると言えるだろう。
 登場する写真家はアンドレ・ケルテス、マヌエル・アルバレス・ブラボ、ハリー・キャラハン、ヘルムート・ニュートン、ケネス・ジョセフソン、デュアン・マイケルズ、ルシアン・クレルグ、ラルフ・ギブソンの8人。これらのいずれも独特な作品を展開している写真家達の言葉は、二つの側面から興味深く読むことができるように思われる。
 その一つは、実作者の制作過程を垣間見るという点である。「私は人工照明の扱いにはかなり気を遣う。500ワット電球の時はとくにそうだ。この光は生々しく硬い感じになりがちで、コントロールが難儀なしろものだ。太陽光の硬さは別の質をもっていて、ピュアでコントロールしやすく、バウンスしてずっと柔らかい感じになる」(ニュートン)。このような、具体的にどのような考えのもとで、どのような機材や感剤あるいは撮影現場を設定しているのかという話が随所に満ちている本書は、制作現場を身近に感じさせてくれるだけでなく、創作の指針となる源泉を読者に与えてくれるだろう。加えて、この邦訳で新たに加えられた詳細な用語解説は、その理解を大きく助けてくれるに違いない。
 もう一つは、写真家達の自作の解説を通して彼らの信条を知るという点である。「私の作品のなかには、何がしかユーモラスな視点からアプローチしたものがあることを指摘しておきたいものだ。…つまるところ私の目的は、この写真というメディアについて、言葉によって記述するのにかえて、眼で見ることをもって何ごとかを表明することなのだ。これはなされるべきことであると私は考えている」(ジョセフソン)。こうした、自作をどのような思考のもとに捉え返しているのかという話は、一見しただけでは捉えどころがないことも多い、写真というメディアによる表現について考える契機を提供してくれるだろう。そこに共通してみられるのは、対象としてのヌードを撮るということを目的にするのではなく、ヌードを撮ることを通して表現的な思考を形成していく態度であり、今日の日本のヌードに対する風潮と比較するとき、その態度の豊かさを感じずにはいられない。
 そして、このように制作や鑑賞について多くの指針を与えてくれるだろう本書が、最も魅力的であるのは、そうした制作と解釈という二つの側面の矛盾と隔たりの葛藤のただなかにこそ制作の現場を置く、写真家達の姿を浮び上らせるときであろう。なぜならそこでは、よく言われているような写真を自由に作り・読むという姿勢とは似て異なった、思考と技法の限定と統御という不自由によって、制作の場面そのものが作り出されていることが照し出されているからである。