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[日本の写真論を読む2:伊奈信男「写真に帰れ」2―“写真に帰る”とは/日本カメラ1994年2月号:136]


 「新しい視点に立って物象を補足し、世界の断面を記録し、報告し、光による造形を行ふといふも、その制作活動はすべては社会的存在としての人間より発動する。社会的必要によって人間が制作活動を行ふのである。この場合に写真芸術の内容となり得るものは、その人間の属する社会生活の断面であり、自然世界の一般事象以外にはあり得ない。そして、人間が、主体が、これらの客観を見るとき、それは既に単なる人間の眼を以て見るのではなく、『カメラの眼』を以て見るのである」。
 「写真に帰れ」(『光画』創刊号所収)において伊奈信男がこう主張するとき、そこで前提とされているのは、客体としての現実世界があらかじめ存在し、主体としての人間がそれを捉えるという図式である。伊奈は、写真の独自性を形作るものとしての「機械性」を繰り返し唱えながらも、それは「特殊的・写真的」なるものの「はじめ」に過ぎず、「写真芸術のアルファ」は「社会的人間」であることを強調した。このような考え方において「社会的人間」を志向することとは、「写真芸術」に携わる者が、「カメラの眼」によってそのような主体と客体の関係図式を強化することにほかならない。つまり、伊奈にとって写真の「機械性」とは、あくまでも現実世界との関わりにおいて見出されるべきものであり、したがってその用法は主体と客体の関係図式を吊り支えることに規定されたものであった。「機械性」の認識から導かれた「新しい写真芸術」が、「遊戯的な唯美主義」に陥り、「形式の遊戯に堕し去る」危険を指摘する彼は、先の文章に続けて次のようにいっている。
 「カメラといふ表現手段と、光線単色などの表現材料――即ち、写真芸術の形式――を以て、表現し得る範囲に於て、見るのである。かくの如くして内容が形象化されるためには、一定の必然的な形式を要求するのである。内容と形式とは相互に必然的な関係に於て、互いに他を揚棄しつゝ、芸術を完成するのである」。
 ここで述べられているのは、形象化されるべき内容があらかじめ存在し、それが一定の必然的な形式によって写真化されるという構制である。主体と客体の関係図式にほぼ対応しつつ、自明のごとく語られているこの構制には、根底的な転倒が孕まれている。人間が事象を捉えるということは、何らかの形式によって事象を形象化することと同義である。だが伊奈が主張するのは、表現されるべき形象化以前の内容がどこかに存在し、さらにその形式なき内容が「必然的」に一定の形式を要求して表現されるという、およそ奇妙な事態である。そしてこのような転倒は、伊奈が前提としている主体と客体の関係図式にすでに孕まれていたものでもある。
 写真が形成される場面を経験の領域において捉え返してみればわかるように、客体としての現実世界なるものは、主体としての人間が「カメラの眼」によって世界を捉えることに先行して存在するものではない。写真化という営為がなければ、写真化されるであろう現実世界の存在を想定することは、そもそもありえない。「カメラの眼」による形象化という営為こそが、先行して存在していたであろう世界の現実性と、写真における世界の現実性を同時に派生させ、重なることはあっても交わることのない二重の現実性を含んだ世界を展開するのであって、その逆ではない。
 このようにして考えるとき、「写真に帰れ」が提唱したことは、「カメラの眼」によって、あらかじめ存在していたであろう客体としての現実世界に帰れという、逆説的なメッセージであったことが浮び上ってくる。そこでは、先行して存在していたであろう世界の現実性に重なるような「特殊的・写真的」なるもののみが、「唯美主義」や「形式の遊戯」の危険を免れた、帰るべき写真として認められることになるだろう。
 写真が写真に帰ること、それは原理的にいって極めて容易であると同時に不可能なことである。なぜなら一方で、どのような写真であろうが写真が写真であることは自明だからであり、他方で、そこで暗黙に語られている写真の機能の一面のみに、写真のあらゆる機能を限定することはできないからである。写真表現にとって形象化以前の現実世界の存在などどこにも実在しない以上、結局こうした布置において伊奈の「写真に帰れ」というメッセージが形成するのは、客体に見立てられた社会的規範において象徴的に機能しうる記号としての写真の位置づけであり、位階化である。後に伊奈が、フォトモンタージュやフォトグラムの非現実性を激しく批判し、「報道写真(ルポルタージュ・フォト)」に傾斜していったのは、こうした認識論的布置が「写真に帰れ」に内在していたからにほかならない。
 伊奈にみられるこのような写真の社会性の構制は、その後久しく写真表現を規定することになる。そこでいっけん解消されたかにみえる写真の二重の現実性が写真表現の問題として露呈するには、70年代の写真論を待たなければならない。