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[日本の写真論を読む1:伊奈信男「写真に帰れ」1―認識論と存在論と/日本カメラ1994年1月号:136]


 1932年5月、日本の近代写真の成立に大きな役割を果たしたといわれる雑誌『光画』が創刊された。第二号から同人に加わることになる伊奈信男は、その創刊号に「写真に帰れ」という宣言文的な響きを伴った題名の文章を寄せる。
 「『芸術写真』と絶縁せよ。既成『芸術』のあらゆる概念を破棄せよ。偶像を破壊し去れ!そして写真の独自の『機械性』を鋭く認識せよ!新しい芸術としての写真の美学――写真芸術学は、この二つの前提の上に樹立されなければならない」。
 既成の芸術概念の否定と写真の独自性の認識を基に、伊奈は「写真とは何であるか?芸術としての写真の本質と目的は何であるか?」と問いかける。ここでまず否定されるのは、写真を「光と影の交錯」や「明暗のハーモニー」と捉えた「芸術写真家」たち、つまり「光と其階調」を説いた福原信三を中心とする「絵画的」写真観である。しかしここで注意しなければならないのは、伊奈に先駆けて福原もまた絵画に従属する写真を否定し、写真の独自性を説いていることである。「写真は何が故に写真であるか、写真は如何にして写真たり得るか」と問う福原は、「写真は光也は真理である」と自ら答える。「『光と其階調』に徹すれば、メカニズムを超越して、あらゆる総ての芸術と同じく写真であり、絵画であり、詩であり、音楽であって、同時にそれ等のいづれでもなくたヾ個の生命を感ずるのみである」(「写真芸術の本質と其使命」、『アサヒカメラ』二八年四月号)。こうした自己充足的な芸術観と、そこから導かれる写真の自足性を含めて伊奈は否定したのである。
 「写真に帰れ」は、三つに分類された、「機械性」の認識から生れた海外の「新しい写真芸術」の紹介を基調として書かれている。だが同時に、そのいずれに対しても伊奈は懐疑的な態度をとっている。「『事象性の正確なる把握と描写』――それは、それ自身に於て正しい。しかし、それは同一なる形式の反復によつて、早くもマンネリズムに堕する危険性を持つている」。「『生活の記録、人生の報告』――これもまた正しい。しかしこの場合に於ては、内容の瑣末性に煩わされて、何等の感動を与へ得ないものとなる」。「『光線による造形』――これこそ、写真芸術の全領域を遺憾なく蔽う定義として、或る意味に於ては、最も正しいものであらう。しかし、あまりに稀薄なる内容を持つと同時に、あまりに、形式主義的規定である」。このように、いっけん写真の独自性の発露として提示されているようにみえる「機械性」の認識による写真もまた、それだけでは伊奈にとって否定されるべき対象であった。
 こうしたことが示すのは、伊奈の「写真とは何であるか?」という問いが、福原のように自問自答が成立する認識論的場面にとどまるものではなく、存在論的問いを孕んで投げかけられていることである。それゆえ「写真に帰れ」というメッセージは、現実的な経験の領域において二重の意味を帯びることになる。〈写真は写真である〉という自明の認識が改めて問われることによって、写真表現は〈これらの写真は本来的な写真ではない〉という否定されるべき現在的な位相と、〈写真はやがて本来的な写真になるだろう〉という肯定されるべき未来的な位相とに重層化される。それによって〈写真が写真に帰る〉という同語反復的な認識は、一方で絶えず前方へと志向し経験の地平を開きつつ、他方でその志向性自体を再定位し経験の地平を閉じる存在論的な身振り、あるいは独特の精神性に転化することになるだろう。
 「カメラの『機械性』は『特殊的・写真的』なるものゝ『はじめ』である。しかし写真芸術の『はじめ』ではない。写真芸術のアルファは、カメラの背後にある人間である。しかも社会的存在としての人間――社会的人間である。…吾々が写真芸術によつて『現代』に最高の表現を与へるためには『カメラを持つ人』は、何よりもまづ最も高き意味の社会的人間たらねばならぬのである」。
 「写真に帰れ」はこのように締め括られている。ここで述べられた「社会的人間」は、後に伊奈が力点を傾斜させていった「報道写真(ルポルタージュ・フォト)」との関連で捉えられることが多い。たしかに、同時代の写真の動向との因果関係においてみる限り伊奈の主張はそのように展開している。だが忘れてはならないのは、ここで伊奈のいう「社会的人間」とはプロフェッショナルなカメラマンといった具体的な存在である前に、自己否定を内的な契機として固有化する独特の精神を担った人間、つまり近代的主体であることである。