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[写真史そのものを技法にとりこむ:「ジャン・グルーヴァー作品展」/アサヒグラフ1994年11月11日号:85]


 静物を構成した作品で知られるジャン・グルーバーの写真展が、東京・虎ノ門のフォト・ギャラリー・インターナショナル(PGI)で開かれている(11月11日迄)。
 1943年に生れたグルーバーは、大学で美術を学び、抽象的形態のキャンバスを用いたミニマル・アートを制作した後、写真に関わりはじめた。70年代には、類似と対比によって構成されるコンセプチュアルな三枚組の写真を作っていたが、80年代に入り、20世紀初頭の写真家を参照しつつ、カラー・プリントやプラチナ・プリントなどを用いて、静物を中心に人物・風景などの写真を作るようになった。
 彼女の作品の特徴は、現代写真家の多くが特定の技法や対象を自らのスタイルとして確立しているなかで、スタイルを形成する技法と対象の関連それ自体を問うことから制作を行っていることである。具体的に言えば、食器、果物、野菜、猫といったもので構成され、カラー・プリントやプラチナ・プリントといったメディアで提示される彼女の静物写真は、様々なものによって構成される空間が、写真なるものをいかに形成するかという試みであると言えるだろう。したがって彼女の写真から浮び上ってくるのは、一連のテーマといったものではなく、そうした試みの反復による技法と対象のいわば対位法的な展開である。グルーバーは次のように言っている。
 「写真に写っている、いろいろなものに生じていることについて、言おうとはしません。意味を組み立てないのです。やってみることが必要なのです。ものと戯れることが好きです。ものがどんなふうに、つながりや空間を積み重ねていくのか、見ることが好きです。一本の木を撮ろうと決めたら、『木というもの』のことは考えません。すでにそこに木があるからです。その時私は『写真というもの』のことを考えます」。
 こうした彼女の写真表現における位置が独特なものであることは、80年代に多く作られた、写真を用いて映像の制度について語ろうとする作品と比べたとき、いっそう明らかになるだろう。グルーバーもまた写真史を参照することで作品を作っているが、それは写真史について語るためにではなく、写真史そのものを技法と対象として使用し、意識的に体現することにおいてである。それゆえ彼女の作品は、意味が組み立てられる制度的なものを越えて、意味が写真なるものにおいて生成し、形成されるより根源的な場面を照し出す。グルーバーの作品が興味深いのは、こうして、写真を見ることについてさらに深い位相で考えることを私たちに促すところにある。