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[連続したカットが作る独特の世界:伊藤義彦写真展「CONTACT PRINTS」/アサヒグラフ1994年10月7日号:101]


 東京・虎ノ門のフォト・ギャラリー・インターナショナルで、連続しているフィルムをそのまま印画紙に焼き付けて作られるコンタクト・プリントの作品で知られる伊藤義彦の写真展、「CONTACT PRINTS−観ること・観つづけること」が開かれている(9月30日迄)。
 80年代から一貫してコンタクト・プリントで写真作品を作っている伊藤は、撮影者の動きと対象との関連を浮び上らせる作品や、複数の要素がコンタクト・プリントの中で交錯する作品など、連続したカットが形作る独特の世界の中で様々な試みを続けてきた。抜粋されて展示されている80年代の作品から伺うことができるそうした展開の軌跡は、伊藤がコンタクト・プリントによって一つの視覚的空間を形作ることにとどまらず、見ることを動的に捉えることで、視覚を成立させている時間性や空間性を写真によって問い返してきたことを示している。今回の展示の中心になっている近作は、通常の写真の白と黒との関係を反転させたネガの画像を用いることで、対象そのものを再現することからより離れていっているようにみえる。そしてその作品が、「観ること・観つづけること」というタイトルとともに提示されていることは、たいへん興味深いことのように思われる。
 例えば、写真は瞬間の芸術だといった言葉が示すように、写真は切り取られた時間を見るメディアとして定着している。だが、そう捉えたときにはすでに、時間は空間化され、見ることは無時間的な安定した行為と化している。しかし見るという行為が、見つづけることによって創造される時間によって成り立っていると考えるとき、私たちは見るということが実はきわめて不安定な行為だということに気づくだろう。伊藤は次のように言っている。「この世界には見えるものと、見えないものが存在している。…時間は、たしかに見えないものの一つである。何かをしたとたん、そのことが目に見える物になるわけではない。目に見えない距離として遠くなっていくのである。しかしまた、近付いてくるものもある。そういう性質のものについての話しは、たいへん豊かな場を生じさせ、それぞれの頭の中で、過去・現在・未来が瞬間的に同時に反応し合い、言葉となって語られる」。
 連続して撮られたカットが同時に示されるコンタクト・プリントによる伊藤の作品は、見たものを写し、写されたものを見るということのみならず、同時に、見ることが成立している基盤そのものをも問いの爼上に置く。それは、現代の写真表現が不問に付している問題でもあるがゆえに、彼の作品が投げかけている問いはきわめて重要であると言うべきだろう。