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[ファッション写真の歴史的変遷:「19世紀〜20世紀モード写真展―VANITES〈虚栄〉」/アサヒグラフ1994年8月19・26日号:?]


 東京・新宿の三越美術館で、メイエール兄弟、フェリックス・ナダールなど19世紀の写真家から、アーヴィング・ペン、ヘルムート・ニュートン、サラ・ムーンなど現在活躍している写真家までの二五人による約二七〇点の作品で、ファッション写真の流れと歴史的変遷をたどった展覧会、『19世紀〜20世紀モード写真展−VANITES〈虚栄〉』が開かれていた。
 現在、ファッション写真は、芸術としての写真と区別された一つのカテゴリーとして捉えられている。しかし、そもそも20世紀におけるモードの隆盛は、それを象徴化し、不特定多数の人々に広める可能性を持った、複製技術としての写真の誕生との密接な関係において展開されてきたものである。
 このことを物語る典型的な例が、エドワード・スタイケンの仕事であろう。はじめ絵画的写真を手掛けていた彼は、やがて写真独自の表現を探求するようになり、近代写真の父と呼ばれるアルフレッド・スティーグリッツと共に「フォト・セセッション」運動を起こし、雑誌『カメラ・ワーク』に協力した。しかし、写真の可能性を従来の芸術を越えるところに見ていた彼は、第一次大戦後、コンデ・ナスト社の写真部長となり、『ヴァニティ・フェア』誌や『ヴォーグ』誌で、スタジオでの緻密な照明による劇的な写真を展開し、シルエットのデザインを紹介するスタイル・ブックに過ぎなかったファッション雑誌を変革した。
 このように、新しい時代と連動した写真表現を目指した彼のスタイルは、二〇年代アメリカの雑誌や商業写真に多大な影響を与えることになる。その後、海軍航空隊写真班のリーダーとして戦争写真の変革を押し進め、またニューヨーク近代美術館の写真部長として『人間家族』展を開催した彼は、複製技術としての写真が持つ可能性を一貫して追及したのだった。
 同展が興味深いのは、企画協力者のデルピールが「男であろうと、女であろうと、ひとりであろうと、グループであろうと、着衣している人たちの写真というのは、すべてモード写真として判読されるべきものだ」と言うように、印刷技術と結びついたファッション写真だけではなく、19世紀の写真の誕生に遡ってモードとの関係をたどっていることである。そこに見えてくるのは、モードの変遷だけではなく、写真というメディアの自律性が、常に時代と切り離せない関係において成立してきたことに他ならないだろう。