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[真理を写しとるストレート写真:エドワード・ウェストン写真展「ささやきのフォルム」/アサヒグラフ1994年7月22日号:85]


 カメラの機械的な特性を最大限に生かした即物的な描写によって知られるエドワード・ウェストンの写真展、『ささやきのフォルム』が東京・新宿のI.C.A.C.ウェストン・ギャラリーで開かれている(7月26日迄)。
 1886年に生れたウェストンは、20歳の時にカリフォルニアへ移り、ソフト・フォーカスの絵画的写真家として活躍、コマーシャル・フォトやポートレイト・フォトの第一人者として大きな成功を収めた。しかし、そうした絵画的な写真に疑問を抱きはじめた彼は、1920年を前後して絵画的手法を捨て、試行錯誤を繰り返しながら隅々にまでシャープにピントが合った写真の制作へと向っていく。この転回は、22年のニューヨーク行きの途中で工場風景を撮影するという体験や、近代的写真を切り開きつつあったアルフレッド・スティーグリッツやポール・ストランドとのニューヨークでの出会いの中で決定的なものとなった。
 こうして自分自身を、事物のもつムードよりも、むしろその事物の最も重要なエッセンスを探し求める写真家であると規定し、アメリカ近代写真の理念としてのストレート写真を代表する一人になっていったウェストンは、その写真観を次のように記している。  「ピントグラスの上で映像が変わってゆくのを見つめながら、ゆっくりとカメラを回すことは、ひとつの啓示なのだ。レンズを通して新しい世界を見てしまう我々は発見者となっているのである。そしてついに完璧な観念が現れると、一切が顕わにされる。露光よりも前にはっきりと全的に感じていなければならないのだ」。
 今回展示されていた、ピーマンやオウム貝、キャベツなどのクローズ・アップ、砂漠や岩の風景、あるいはフォルムとして捉えられたヌードといった写真には、彼のこうした考え方がよく現れている。静物、風景、ヌードなど、様々な対象をウェストンは手がけているが、そこに共通しているのは、レンズを通してはじめて発見される個々の事物固有のテクスチュア、実在感に他ならない。興味深いのは、即物的だと言われる彼の写真が、決して単に事物のありのままを克明に写そうとして生れたわけではなく、このように物を見るという行為を徹底すると同時に真理に到達しようとする視座から導き出されていることである。
 今日私たちは、彼の写真を緻密に構成され克明に描写された写真の典型として見る。だが忘れてはならないのは、それは同時にウェストンのこうした精神性の影を見ていることでもあるということだろう。