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[像大量死を告発した写真家の軌跡:ピーター・ビアード「FROM A DEAD MAN'S WALLET」/アサヒグラフ1994年7月1日号:?]


 東京・渋谷のパルコギャラリーで、異色のアーティスト、ピーター・ビアードの展覧会『FROM A DEAD MAN'S WALLET』が開かれた。
 ビアードは1938年ニューヨークに生れ、イェール大学を卒業した61年にケニアに移住し、最大の野生保護区ツァヴォ国立公園でのアフリカ象の生態を写真に記録、神話時代から現代に至るまでの象と人間の関わりを映像資料と文章、そして自らが撮った写真で構成した『ジ・エンド・オブ・ザ・ゲーム』を刊行し、植民地時代以降の歴史によって導かれた象の大量死を告発して注目を集めた。
 今回の展示は、ビアードがそうした作品と並行して作ってきた、写真や切り抜き、貝や虫の抜け殻などをコラージュしてコメントを付けた「日記」の複写を中心に、アフリカの記録写真を交えてインスタレーションされたものである。壁面一杯に貼りめぐらされた彼の行動の痕跡としての「日記」は、経験の生々しさを物語り、そこに記された物事のアクチュアリティを浮び上らせる。
 ビアードが異色であるのは、極めて社会的・歴史的な問題を扱いながらも、それを経験的かつ私的な態度から語る、その語り口にある。この態度は、今回の展示にとりわけ明瞭に現れていたが、ニュアンスの違いこそあれ、基本的には『ジ・エンド・オブ・ザ・ゲーム』や彼の作品全てに共通するものである。このような態度によって彼は、単に環境破壊を告発するだけではなく、それを引き起こす近代社会の総体を批判し得る位置に立つことになる。それは例えば、次のような語調によく示されているだろう。
 「ゾウは苦しんだ格好のままで死にいたり、残された白い骨は苦悩の様子をそのままに伝え、何もかも吸い取られて紅土となった地面を、歪んだ表情がヒステリックに見据えていた。自然保護中毒者のプライド、そして破壊へといたる人為的結末……この状態は、70年代の初めまで続いていた。そして最終的には、緑なす草原の大地は、漂白された骨の山と干からびた流木の山積する死の荒野となったのである。その、自ら招いた砂漠という自然を、人は『平和』という名で呼ぶのだ」。
 こうした黙示録的語調による批判は、いっけん根底的なものであるようにみえる。だがそれは、現実には誰一人として立つことのできない位置からなされたものでもある。それが可能になっているのは、今回の「日記」のインスタレーションに現れていたように、ビアードのメッセージに先立って、彼の行為そのものが“作品化"されているからに他ならない。ここにみられる矛盾は、ビアードだけではなく、経験のアクチュアリティに埋没している今日の表現が不可避的に抱え込んだ問題として、改めて捉え返される必要があるように思われる。