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[虚構的世界を写真で追究する二人:「ジョアン・カリス&バーバラ・キャステン写真展」/アサヒグラフ1994年5月20日号:101]


 八〇年代の写真表現の大きな潮流であった「作る写真」の代表的な写真家である、バーバラ・キャステンとジョアン・カリスの展覧会が、東京・渋谷のロゴスギャラリーで開かれていた。展示されていたのは、キャステンの立体や鏡を組み合せて幾何学的に画面を構成したシリーズ、そしてカリスの水面に浮ぶヌードのシリーズと、時計やトランプなどのオブジェの静物写真を組んで作品化したシリーズである。  キャステンは、絵画を学び、染織彫刻やフォトグラムなどを手掛けた後、七〇年代後半に写真作品を制作するようになった。カリスもまた、はじめは彫刻や絵画を手掛け、七〇年代の半ばから写真作品を制作している。このような作家の展開は、彼女たちの作品とともに、「作る写真」の背景としての「様々なスタイルや技法の引用と折衷」という文脈をよく物語るものとして捉えられてきた。例えば、キャステンの作品は二〇年代のバウハウスのデザインやロシア構成主義の絵画のスタイルを引用したものであり、また、カリスの作品は三〇年代前後のシュルレアリスムのオブジェ化の技法を引用したものである、といった解釈が与えられてきた。
 しかし、こうした解釈は「作る写真」が写真表現の大きな潮流を形作った状況の在りようをよく言い当ててはいるものの、その所在については不充分にしか語っていないように思われる。なぜなら、現実と虚構の境界が喪失したことによる「様々なスタイルや技法の引用と折衷」という解釈は、スタイルや技法を引用・折衷するスタイルや技法という一種の同語反復であり、結局のところ何も語っていないに等しいものだからである。
 今日捉え直されなければならないのは、引用と折衷それ自体を目的とするようなスタイルや技法が、なぜキャステンやカリスのような作家にリアリティのあるものだったのかということであろう。彼女たちは、なぜ立体や彫刻そのものを作品とせずに、改めてそれらを写真化したのであろうか。このように考える時浮び上ってくるのは、彼女たちの写真が極めて虚構的でありながら、虚構的世界を写真に求める態度そのものは極めて現実的であることだろう。つまりそこに示されているのは、現実と虚構の境界が喪失した世界の反映というよりも、そのような世界のリアリティを写真というメディアによって現実化することであったように思われる。彼女たちの写真作品が物語っているのは、いっけん多義的な、しかし現実化という側面では極めて一元化された、写真表現におけるリアリティの所在の変容に他なるまい。