texturehometext archivephoto worksaboutspecialarchive 2ueno osamu

[対象の形態から構成する写真表現:写真展「アーロン・シスキン」/アサヒグラフ1994年5月6・13日号:133]


 写真家であるとともに、シカゴ・インスティテュート・オブ・デザインやロード・アイランド・スクール・オブ・デザインなどで教鞭を取り、戦後のアメリカ写真に大きな役割を果たしたアーロン・シスキンの写真展が、東京・虎ノ門のフォト・ギャラリー・インターナショナルで開かれていた。
 一九〇三年、ニユーヨークに生れたシスキンは、独学で写真を学び、「フォト・リーグ」に所属してハーレムなどのドキュメンタリーを撮っていた。しかし四〇年代に入って彼は、それまでの仕事を否定し、埠頭に投げ捨てられた手袋や壁などをクローズ・アップで撮り、抽象性の高い作品を作るようになる。この転回について彼はこう述べている。「私は何も言ってはいないことに気づいた。私の写真に特別な意味があるのではなく、その対象にあったのだった。本質は私たちの気持ちや心の中だけに存在するものだと思うようになった」 ドキュメンタリーからのこのような転回は、同時代のアメリカ写真の動向をみるとき、決して珍しいことではない。にもかかわらず、シスキンの作品が興味深いのは、それを典型的かつ鮮明に体現していることにある。彼はその後も、湖に飛び込む少年達や、石を組合せて作られた塀などを独特のアングルから捉えることで、それらを極度に抽象化した作品をつくっていき、自然の中の岩石を撮った写真について、次のように言うに至っている。「私は岩石なんぞにはまったく興味はありません。私の関心は私自身にあるのです」。
 このような視座の変更を、客観から主観へあるいは対象から自己へといった側面においてのみ捉えるならば、それはシスキンが体現した転回の一面に過ぎないことになるだろう。ここでより重要に思われるのは、写真表現を被写体の意味ではなく対象の形態から構成するという、きわめて形式的な仕事が、内面の探求への傾斜にによってもたらされていることである。つまり彼の転回とは、主観と客観といった単に二項対立的な場面にあるのではなく、一方でなされる内的世界の探求が、他方で写真表現の形式的自律性を不可避的に導き出すことを体現することよって、表現における写真と自己の位置そのものを変更したことにある。そしてこの転回が重要であるのは、こうして写真と自己の隔たりにおいて表現を捉えることが、やがてアメリカ現代写真の条件というべきものになっていくからに他ならない。