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[特定の表現にとらわれない写真:「アンドレ・ケルテス展」/アサヒグラフ1994年4月22日号:?]


 アンドレ・ケルテス展が、東京・新宿のICACウェストン・ギャラリーで開かれていた。一人の写真家が様々な表現を試みることは、一九二〇年代から三〇年代を青年として過ごした多くの写真家に共通することだが、ケルテスはその中でも独自のイメージによって捉えられている作家であろう。
 一八九四年ハンガリーに生れたケルテスは、一九一二年にボックスタイプのカメラを手にし、街の風景や日常生活を撮りはじめた。一四年に入隊した陸軍では、戦争の記録写真を撮っている。二五年にパリに移ってからは、街を正面から、あるいは見下したり、見上げたりして多様なアングルから撮り続けると同時に、静物写真や、ヌードを歪めて撮った連作を試みた。そして、三七年にアメリカに渡ってからも、「ハーパース・バザー」誌や「ルック」誌などでコマーシャルの仕事をしながら、自分自身のために写真を撮り続けている。このように多彩な作業を手がけ、また雨、雪、霧、夜といった様々な条件で写真を撮りながらも、決して特定の主題や方法に囚われることがなかったことが、逆にケルテスの写真の特徴となり、彼独自のイメージを形作っていると言えるだろう。例えば、あるアメリカの評論家は次のように語っている。
 「ケルテスの写真は、その単純さゆえにだまされやすい。突飛さややり過ぎ、そしてわざとらしさがまったくない。驚くべきことに初期のころからずっとそうなのだ。…自己のものの見方に忠実であるがゆえに、ケルテスの芸術と人生は彼の写真の中で完全に一致しているといえるのだ」。
 ケルテスが六二年以降、八五年に他界するまで自分自身の写真に没頭していったこともあり、技術を超越して調和する写真と作家というこのようなイメージは、ケルテスを捉える際の典型的なものになっている。しかし、こうしたイメージによってケルテスを捉えることこそが、その写真を単純に見せていると言えないだろうか。確かに彼の表現はその結果から捉えると、特定の主題や方法から距離を置くことで、写真にまつわる主題と方法、鏡と窓といった矛盾を自己の内に調和させていったようにも見える。だが、もし調和そのものが目的であったなら、そもそもケルテスがあえて様々な試みをする必要はなかったであろう。むしろ注目されなければならないのは、彼が写真にまつわる矛盾を自己に導きつつ絶え間なく試みた、主題と方法の対位法的な展開の技術なのではないだろうか。