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[極端と誇張を追究した女性写真家:「リセット・モデル(1901-1983)写真展」/アサヒグラフ1994年4月1日号:93]


 ニースの観光客やローワー・イースト・サイドの住人などを、大胆なクローズ・アップで写し、人間存在を直載にドキュメントしたことで知られる女性写真家リゼット・モデルの写真展が、ザ・ギンザアートスペースで開かれている(4月6日迄)。モデルは1901年、ウィーンに生れた。裕福な家庭に育った彼女は音楽家を目指していたが、一家が経済的基盤を失いフランスに移住、33年頃から写真を撮るようになった。そして38年、第二次世界対戦を迎えつつあったヨーロッパを後に、ロシア人の画家である夫とニューヨークに移り住む。
 「極端」と「誇張」がテーマだと自身が言うように、肥満しているかやせ細っている人、大金持ちあるいは貧乏人などを、画面からはみだしてしまいそうなフレーミングで捉え、粗粒子で仕上げた彼女の写真は、表現の新たな中心地になっていった40年代のニューヨークで大きな評価を得ていくことになる。近代美術館の展覧会に出品した作品は、当時の写真表現を先導していたボーモント・ニューホールのような批評家や写真家たちに絶賛された。アート・ディレクター、アレクセイ・ブロドヴィッチの斬新な誌面構成で注目を集めていた『ハーパース・バザー』誌では、野外ロケのファッション写真やナイト・クラブのルポなどで活躍している。また、50年代からの教育者としてのモデルの役割も忘れてはならないだろう。公的・私的に写真を教えるようになった彼女は、ダイアン・アーバスなど多くの後進に深い影響を与えるようになっていった。
 技術的なことはほとんど教えず、写真と対象との関わり方を説くことに終始していたこと、あるいは被写体にした人々の姿やいっけん粗暴にも見える写真の質から、往々にしてモデルの仕事は、技法や形式を越えダイレクトに対象を捉えようとしたという逸話によって語られがちである。しかし、そうした直載さこそが、クローズ・アップや不安定な画面構成といった技法によって、モデルが導き出した効果でありリアリティにほかならない。彼女は言っている。「カメラは探知の道具です。何かにカメラを向けるとき、それはひとつの問いかけであり、ときには写真がその答えとなるのです。撮ることによって何かを証明しようというのではなく、それによって何かを教えてもらうということです」。写真の技法の用法を、証明から問いかけへと変更すること、さらにそれによって自己と写真と対象の関係そのものの形式を捉え返すこと。モデルは、形式や技法の忌避によってではなく、自己を含み込んだところでそれらを捉え直すことで、新たな写真のリアリティをドキュメントとして見出したのである。