[ファッション写真の変革に貢献:「ムンカッチ展」/アサヒグラフ1994年3月25日号:125]
報道写真におけるスナップ・ショットの手法をファッション写真に持ち込み、躍動感や開放感に満ちた新たなスタイルを作ったことで知られるマーティン・ムンカッチの写真展が、新宿・小田急美術館で三月一三日まで開かれている。
ムンカッチは一八九六年、ハンガリーに生れた。ブダペストの新聞で記者兼写真家として働いた後、一九二七年ベルリンに移り、今世紀初のグラフ雑誌『ベルリナー・イルストリルテ・ツァイトゥンク』で組写真形式のルポルタージュを連載、第一線の写真家として世界に知られるようになった。ヒトラーの政権掌握により三四年にアメリカに移住、新機軸を打ち出す人材を求めていた『ハーパース・バザール』誌に迎えられることになる。スタジオでの優雅なポーズを典型としたそれまでのファッション写真に対し、積極的に屋外に出て様々な動きの中で被写体を捉えたムンカッチは、一躍時代の寵児となり、ファッション写真の世界に大きな影響を与えていった。
当時の写真表現にとっては衝撃的であっただろう彼のスタイルは、現在ではむしろ見慣れたものになっているだろう。なぜなら、それが自然に見えるくらいに彼の影響はその後深く広がっていったからであり、また、彼の活躍を可能にした時代背景そのものが今日では日常的なものになっているからである。
ムンカッチが本格的に写真をはじめた三〇年代前後のドイツは、相次いで高性能小型カメラが生み出されると同時に、その速写性や機動性を生かした写真を用いた多くのグラフ雑誌が発行され、隆盛する報道写真の時代を先導していた。しかし、やがて政治の変動により、写真家や編集者などの多くの人材が国外逃亡し、その中心はヨーロッパからアメリカへと移行していく。三〇年代のニューヨークは、国内外からの人材が集う表現の新たな中心地であった。限られた観賞者ではなく、不特定多数の大衆に向けて表現がなされていったこの時代において、報道写真という分野に限らず、雑誌という大量複製されるメディアそのものが、表現の差異化を競う格好の舞台となっていった。
ムンカッチが作り出したファッション写真の新たなスタイルとは、言い換えれば、大衆に向けて複製されることを基盤として見出された、新たな写真表現の形式であり言語性にほかならない。それが日常化し自然化された今日では、その洗練のみが競われているように見えるだけに、躍動感や開放感といったイメージそのものを成立させた彼のスタイルの革新に潜む、映像表現のシステムこそが改めて捉え返される必要があるように思える。