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[自己の経験と同一化させる写真行為:「ウィン・バロック展」/アサヒグラフ1994年3月4日号:101]


 ウィン・バロックの写真展が、東京・虎ノ門のフォト・ギャラリー・インターナショナルで開かれている(2月25日迄)。うっそうとした森の中で裸で横たわる少女、クローズ・アップによってテクスチュアが引き出された岩や木、霧や闇の中で不思議な気配を漂わせる風景、こうした彼の写真を一言で形容するなら「神秘的」という言葉がふさわしいだろう。
 一九〇二年にイリノイ州で生れカリフォルニア州で育ったバロックは、二〇年代からテノール歌手として仕事をしながらコロンビア大学で一般教養を学ぶ。音楽を学ぶために渡ったパリで印象派の絵画やモホリ・ナジやマン・レイの写真に触れ、視覚芸術に興味を持ち、写真を撮りはじめた。三〇年代には本格的に写真表現に傾倒していき、正式に写真を学ぶために三六歳にしてロサンジェルス・アート・センター・スクールに入学、ソラリゼーションなどの実験的技法に没頭する。
 彼にとって大きな転機となったのは、四八年のエドワード・ウェストンとの出会いだった。ウェストンの「ストレート写真」、つまり、暗室作業での操作を排しシンプルかつダイレクトに世界に向かうことによって、単なる事物の記録にとどまらず、自己と世界との観念的な関係そのものを写真の中に発見していくというヴィジョンに、バロックは深い影響を受けた。そして、それまでの技法を一切放棄して、写真が持つトーンやテクスチュアの中に自己の自然に対する観念を表現するようになっていく。この転回について、彼は次のように言っている。
 「写真家になったはじめのころは、私は対象の外観の観察やその物理的性質にもとづいて写真を撮っていた。対象がそれ自体で独自の時間をもっているなどとは思ってもみなかった。しかし、やがて私はすべての対象は常にミクロやマクロのレベルで移り変って流れていく現象であるということを知るようになる。そして私にとって大切なのは、そうした四次元的な時空の定義や認識なのではなく、それを強く感じとることなのだ」。
 端的に言って「ストレート写真」とは技法を否定する技法であり、その独特性は、認識に対する「感じること」の優位によって、写真行為が自己の経験と同一化していくことを直観的に信じることにある。一見してわかるように、バロックの写真表現もまた操作や技法によって成り立っていることは明らかだが、それらを「感じること」の「神秘性」を共感させる効果として用いたところに彼の転回がある。今日、バロックの写真が示唆的なのは、現在にも通底しているであろうこのような写真表現の構図の原形が、そこに率直に示されているからである。