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[二十世紀の写真家〜その過程と軌跡7:両義性の解消へ…ストランドとグルーヴァー/日本カメラ1993年7月号:146-147]


 ポール・ストランド(Paul Strand)と写真との出会いをめぐる逸話は、彼の写真表現の展開を象徴してなお余りあるものであろう。1890年に生れ、ニューヨークの倫理協会学校に通ったストランドは、当時の出会いを次のように語っている。
 「この学校で、偶然に――人生を決めた偶然のひとつともいえるだろうが――ルイス・ハインという男が生物学の助教授をしていた。後に優秀な写真家になったルイス・ハインだ。…ある日、ルイス・ハインが写真の課外授業をするという掲示があった。私はこれに飛びついて、申し込んだ。…私にとって特別な意味をもつのは、ハインがクラス全員を五番街二九一番地にあるフォトセセッション・ギャラリー(アルフレッド・スティーグリッツ主宰のギャラリー)に連れて行った日だった。その日、ギャラリーを出た私の胸の内には、『これこそ自分の道だ。これこそ生涯をかける仕事だ』という夢ができあがっていた。その日から、この夢に挑戦し、実現するための闘いが始まった。決定的な一日だった。世界の写真界で起こりつつあることを目のあたりにしてしまったのだ」(ポール・ヒル/トーマス・クーパー『写真術』日高敏・松本淳訳、晶文社)。
 10代にして、後にドキュメンタリー写真の草分け的存在になるハインに教えを受け、写真の独自性を芸術として確立しようとするスティーグリッツの野心に満ちた試みに触れたストランドは、その後スティーグリッツを訪れ批評を請う関係になった。ストランドは、1915年の夏に仕事をやめて写真に集中し、その作品をスティーグリッツに見せた時のことを、こういっている。「スティーグリッツは息もつかずに見て、言った。『写真という芸術に未知のものを取り入れた。この作品は発表すべきだ。展覧会を開いてあげよう。それにカメラワーク(フォトセセッションの機関誌)にも掲載させてもらう』。私はまるで唖然として、けれど同時に幸福の極みだった」(同前)。
 写真家としての活動をこのようにはじめたストランドが、フォトセセッション・ギャラリーを訪れた日を、世界の写真界で起こりつつあることを目のあたりにした決定的な一日として振り返ることには、何の誇張も含まれていないというべきであろう。なぜなら、翌年初の個展をフォトセセッション・ギャラリーで開き、17年にカメラワークの終刊号を特集で飾ったストランド自身が、スティーグリッツのヴィジョンを明確化し、発表活動だけではなく講演・批評などによっても、写真の独自性とその芸術性を強力に説く存在になっていったからである。ストランドの写真観は、その後のアメリカ写真の基底となっていく写真表現の固有性の捉え方を、もっともポピュラーにあらわすものだといっていいだろう。作品とともにカメラワークに掲載された文章で、彼は述べている。
 「即物性こそが写真のまことの本質であり、写真が寄与するものであると同時に写真の限界でもある。…写真家の問題は、写真というメディアの限界と同時に、その潜在的特質を明確に見ることにある。ヴィジョンの強度に劣らない実直な正確さは、生きた表現に必要不可欠なものである。これは、人間の技能を超え、ほとんど無限の階調の幅を通して明暗の言葉で表現されている目の前の物に、本当の敬意を注ぐことを意味する。このことの完全な実現は、過程や操作のごまかしを抜きに、ストレート写真の方法を通してのみ果たされる。写真家の人生への視点が参入するこの即物性の編成において、感情から生じる概念の形式や理知が、画家がキャンバスに筆を置く前に要求されるのと同様、撮影前の写真家に要求されるのは必然的なことである」(『Camera work : a critical anthology』所収)。
 このように写真の本質を捉えるストランドによって、写真表現の即物性という限界は欠如ではなく、写真の最終的な在りようを保障する物質的な実体性へと転換され、それと同時にその潜在的特質は、無限の可能性を秘めた写真の本質的な力が発生する場所として規定されることになる。こうした構えにおいて彼は、スティーグリッツが提唱したストレート写真という方法に固有の形式を与え、実践していった。『写真の歴史』でイアン・ジェフリーは、ストランドについていっている。「彼は『ストレートな』写真を熱烈に信頼していた。同時にまた、写真家は『自分の感情と理念』を表現するための形態を探し求める創造者でもあらねばならないと彼は主張した。『ストレートな』写真と個人の創造性との間にある明らかな矛盾を彼はほとんど解決しようとはしなかった。と言うのも彼自身の作品のなかには何ら矛盾は無かったからだ。ストランドの『感情と理念』は、彼の瞑想の対象物とひとつになっていた」(伊藤俊治・石井康史訳、岩波書店)。
 たしかに、ストランドは、矛盾を解決しはしなかった。しかし、ストレート写真という方法から見出した即物性によって目の前の物に敬意を注ぎ、超越的なものを人間化し、矛盾を解消した。逆にいえば、人間はそれ自体自然物であり、ほかの自然物の存在を感性によって確認できる存在であると捉える彼は、この矛盾を解消する可能性を秘めた物質性を備えたものとして写真という形式を見出しえたのである。このような構えにおける写真の形式化は、広い意味でのマテリアリズム(世界のあらゆる実在の根源を物質に求める態度)にかかわっている。
 ストランドによって明確化されたストレート写真という方法は、感覚と物事の関係を、写真の物質性から〈ストレートであるかのような〉という指示においてみることにある。彼にとってストレート写真とは、写真の再現性を規定するものではなく、あくまでも即物性の編成にかかわるものだった。このような形式としての写真は、二重の意味でマテリアリズムとしての性格をもつ。つまり、それは一方で〈〜であるかのような〉〈〜のようにみえる〉という指示においてマテリアリズムであり、さらに他方で〈〜のようにみえない〉ということを忘却、解消することにおいてもマテリアリズムなのである。即物性という写真の本質のもとでは、内容は形式に転化され、かつ、その本質を知れば知るほどその形式こそがマテリアリズムにならなければならないことになる。
 このように写真の物質性において感覚と物事の同語反復的な形式を描くマテリアリズムは、はじめは内容や解釈を退けておいてから、それ自身を解釈不可能なものと化し、その形式をいつしか内容へと横滑りさせていく傾向をもつ。はじめ、街並み・人々・機械・自然・静物といった種々のものを撮影していたが、その後、旅における田舎の土地や人々へと徐々に撮影の対象が限られていった彼の展開は、このような意味でのマテリアリズムとけっして無縁ではないはずである。ストランドはいっている。「大切なのは作品そのものであり、ある意味では芸術家は作品のもとにした人間哲学について尋ねられるべきではない。作品こそが根本原理なのだ、作品は自立しているものなのだ」(前掲書)。このようにいうとき、彼はべつに作品と作家を切り離して考えているわけではい。そうではなく、作品それ自身がすでに充分に人間哲学の内容を含んでいることをいっているのである。
 ストランドに象徴されるような写真表現の構えは、いっけん今日では古びたもののようにみえるかもしれない。しかし、自己の経験の内容を写真という形式において見出し、生きられた経験と形式自体に秘められた可能性を暗黙に融合するこのような写真行為は、その諸形態自体を形式化しながら種々の形で変奏されつつ、現在も表現の基底に生きているといっていい。
 たとえば今日の写真表現において、ジャン・グルーヴァー(Jan Groover)は、このことをもっとも明瞭に浮び上らせている一人であろう。43年に生れたグルーヴァーは、大学で美術を学び、抽象的形態のキャンバスを用いたミニマル・アートを制作した後、写真にかかわりはじめた。70年代に類似と対比によって構成される3枚組の写真を作っていた彼女は、80年代に入って、スティーグリッツやストランドなど20世紀初頭の写真家を参照しつつ、プラチナ・プリントなどを用いて、静物を中心に人物・風景などの写真を作りはじめる。
 端的にいって、80年代の作品においてグルーヴァーが行ったのは、20世紀初頭の写真家が抱えた問題の内容を、自らの写真の形式に転じることである。スーザン・キズマリックは、彼女の作品についてこういっている。「作業全体を通じてグルーヴァーは、彼女の写真の形式とその内容の間に募る緊張を故意に課している。…彼女の写真がたんに美的な観点から受けとられるかもしれない一方で、より厳密な観点から、それらは写真史への知的な注釈における楽しみと混乱を導き、その写真の能力が現実世界の複雑さに匹敵することに私たちを結びつける」("JAN GROOVER"THE MUSEUM OF MODERN ART, NEW YORK)。だが、このように混乱や複雑さといった言葉のもとに、形式と内容の関係がたんに両義的に捉えられるならば、その両義性もまた、ただちに作品の美的な内容へと転化されてしまうだろう。
 今日必要とされているのはむしろ、写真史をたどりながら写真を作るグルーヴァーにみられる転換の不自然さに着目してみること、つまりその方法と状況を写真表現の機構として検討の爼上にのせることではないだろうか。