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[二十世紀の写真家〜その過程と軌跡5:「形式化された言語」…ロトチェンコとクルーガー/日本カメラ1993年5月号:126-127]


 80年代には、映像における再現=表象の機能について言及する数多くの表現が流布してきた。なかでも、「我買物す、ゆえに我在り」、「私を買えば、あなたの人生を変えてあげる」、「ビジネスをするとき、あなたは歴史を作る」といった字句と、既製の映像をモンタージュ、コラージュした作品で知られるバーバラ・クルーガー(Barbara Kruger)は、その代表的な一人として注目されてきた作家だといえるだろう。その作品には、例えば「クルーガーの最終目的は再現表現とそれが意味するものの解体なのである。クルーガーによれば、彼女の仕事は『再現表現を破壊すること』なのである」(ヴィッキー・クラーク、『拡張する美術』木下哲夫・富井玲子訳、世田谷美術館所収)という位置づけを典型とするような評価が、つねに与えられてきた。
 しかし、映像の再現機能を問い返すことそれ自体は、べつに目新しいことではない。映像は、たんにそれが日常の自然の緻密な再現であることに表現を見出してきたわけではない。歴史的にみてもそれは、その発明以来、新しい情報・新しい見方を人間に提供するものとして見出されてきた。いいかえれば映像は、ただ世界を緻密に再現するものではなく、独自の構造と体系による新たな形式を備えた言語として捉えられてきたのである。このことは、今世紀前半の映像論の多くにみることができる。
 例えば、『映画の理論』(佐々木基一訳、學藝書林)でベラ・バラージュは、「映画の形式言語は比類のない表現能力を獲得した」といい、映画を「新しい形式言語」として説いている。初期の映画と演劇を比較し、「いつ、いかにして活動写真は、演劇とは本質的に異る方法を用い、全然新しい形式言語を喋る、独自な自立的芸術になったのか」と問いかけるバラージュは、映画における新たな表現の原理を、視点の変化や場面の細部の画面への分割、また、モンタージュやクローズ・アップという技法などに求めている。
 このように映像を形式言語としてみることは、映像を生や日常、自然から分離することなしにはなされえない。自立した形式言語として捉えられた映像とは、自然の一部ではなく、まぎれもない人工物である。映像を形式言語として捉えることは、自然の反映という観点を超えて、そこから言語上の変革や言語的認識の変容を導き出すことにほかならない。そして、映像をこのように捉えることは、自然を変えるのではなく、自然に対する認識そのものを変えることである。したがって、こうした映像論がユートピア的理想主義と分ち難く結び付いていることは、なんら不思議なことではない。バラージュはこういっている。「もしいつの日にか、無階級社会が人間を諸民族と諸人種の内部で結合させることになれば、そのときには、目に見える人間を万人の目に一様に見させる映画もまた、諸民族、諸人種間の肉体上の差異が、もはや人間同士を疎遠にすることのないような状態を作り出すことに力をかすだろう。かくして映画は、国際的な世界ヒューマニズムのもっとも有力な開拓者の一人になるだろう」(前掲書)。
 1910年代から20年代にかけて立ち上がったロシア構成主義は、このような表現の形式化とユートピア思想、そしてプロパガンダとしての芸術が革命の動力の中で不可分に結び付いた、芸術運動の純化と多彩な分布において類例のない試みであった。その代表的作家の一人として数えられているアレクサンドル・ロトチェンコ(Alexander Rodchenko)は、絵画・造型・デザイン・写真などで多岐に渡る試みを一時に押し進めた作家として知られている。まずコラージュやモンタージュのために写真を使いはじめた彼は、時代によりふさわしい芸術は、伝統的なアトリエの芸術とは別の現代的表現手段から生み出されるという観点から、23年頃を境に、写真を本格的に撮りはじめるようになる。
 写真の視覚的独自性を明確に意識化し実践していったロトチェンコは、次のようなスローガンを繰り返し説いている。「すでに受け入れられている自然な見方に慣らされている我々は、視覚的世界を開示しなければならない。我々は、視覚的論法に革命を起こさなければならない。へその位置〔伝統的遠近法〕を除くすべての視点から、それらがすべて受け入れられるまで写真を撮れ。今日もっとも興味深いのは、上から下へ、下から上への視点であり、そこであらわれる対角線である」(『PHOTOGRAPHY IN THE MODERN ERA』APERTURE所収)。このように、なにを撮るかということに先立って、いかに撮るかということの重要性を語ること、それは、形式化された言語空間の内部においては、形式の革命だけが革命的出来事になるという思考に基づいている。このような思考において、現実をもっとも断片化しそれを体系として構成することを可能にするコラージュ、モンタージュやクローズ・アップは、たんなる手法にとどまらず、一つの思想としての形式を成立させる言語としての技法として捉えられることになる。
 ロトチェンコのこの尖鋭化された形式主義の実践は、次第にロシアの写真界、また教え子やグループ同人からさえも批判の的にされ、スターリニズムと伝統的なリアリズムへの回帰の中で排斥されていく。しかし逆説的ながら、その形式主義が尖鋭化されたものであったからこそ彼の作品には、芸術の内部からユートピアを語るプロパガンダとして構成された、形式言語として写真の理念が明解に描かれていたといってよいだろう。あるいは逆にいえば、ここには、ユートピア思想が理念を超えて、現実的実践に移されたときにみせる引き裂きと破綻が描かれている。
 かつてデザイナーで、作家であるとともに、批評家・教師でもあり、その作品にコラージュ、モンタージュやクローズ・アップを多用するなど、バーバラ・クルーガーにはロトチェンコと多くの重なりが見受けられる。しかし両者を根底的に隔てているのは、その技法の用法である。つまり、ロトチェンコが表現の形式化とユートピア思想を融合し、プロパガンダのためにそれらの技法を用いたのに対し、その破綻の後に表現にかかわるクルーガーが、類同的な技法で言及し告発の対象にしようとするのは、そのような融合におけるプロパガンダそれ自体である。そしてこのことは、「メディアの武器を、そしてまた広告の武器を逆用することで、クルーガーはメディアや広告の標準化工作を妨害、破壊する」(ヴィッキー・クラーク、前掲書)というような批評によって形容されてきた。  すると、ここで当然問われるべきは、クルーガーのこうした告発がいかなる思考によって可能になっているかであろう。「相手を逆手にとる方法を編み出す」、「イメージに通常つきまとう慣習的な意味を、何種類かの異なった読みに置き換えてみる」(『アートワーズ』木下哲夫訳、スカイドア)。「基本的には、わたしは社会的な力関係を変えたいと思っているの。そのなかでわたしが得意とする分野はイメージと言葉をあやつること」(『BT/美術手帖』89年4月号、木下哲夫訳)。こう語るときクルーガーは、形式の変革に表現の可能性を見出しているようにみえる。しかし彼女は同時に、その技法の意味が定位されることを拒んでもいる。「作品はなにをいおうとしているのかと訊かれた時には、意味の構造は変化すると答えることにしているの。見る人ごとに違うんだとね」(同前)。「ひとつの方法論なり処方箋を明確に提示して自分自身を固定してしまうことは、回答、推測、そしてカテゴリー化を相手に戯れようとする作品の基盤を崩すことにつながると思うの」(『アートワーズ』)。このように技法を逆用しつつ戯れ、戯れつつ逆用すること、異化と同化が表現行為のなかで等質に混在することとは、どのようなことだろうか。
 ロトチェンコが試みたことが、写真を自立した形式言語として捉え、自然化された再現=表象の機能から分離するとともに、そこで見出された新たな機能にユートピアを写し出すことだったとすれば、クルーガーが試みるのは、表現における再現=表象の意味内容を破壊すると同時に、再現表現の物質性を経験化し、それと一体になることである。別のいい方をするならば、表現の実践からだけは定義上逃れられない彼女は、そのみかけとは逆に、再現=表象の意味内容をいっきょに自然化する行為の中で、ささやかな自家撞着としての表現を確保しようとする。クルーガーはこういっている。「これは作品ですからね。画鋲で壁に貼るようなもんじゃないのよ。作品は市場のなかで商品にならなければならない。そのことがわかったのよ。市場の外にはなにもないんだから」(『BT/美術手帖』89年4月号)。
 だが、意味内容を失った再現表現の物質性は、記号というよりも、記号を媒介するイメージへと変容する。とするなら、忘れられてはならないのは、クルーガーがいかに意味内容を自然化しようとも、それ自体が高度に形式化された言語によって与えらた人工的な産物であること、そして、再現表現の物質性とは、イデオロギーの別の呼び名であることにほかなるまい。