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[二十世紀の写真家〜その過程と軌跡2:自然・技術・環境…A・アダムスとL・ボルツ/日本カメラ1993年2月号:130-131]


 アメリカ西部の雄大な風景を写真で表現し、今世紀の風景写真を代表する一人として数えられているアンセル・アダムス(Ansel Adams)は、1943年の「個人的信条」というエッセイの中で、こういっている。
 「優れた写真とは、撮られた対象について写真家がどのように感じたかが奥深い感覚によって十分に表現されているものであり、それによって、写真家が人生についてどのように感じているかの真実の表現になっているものである。そして感じたことを表現することとは、創造と制作の過程の可能な限りの完全な一致と最大限に明快な表明、つまり写真というメディアへの飾りのない献身によってあらわされるべきことである」。
 今世紀前半のアメリカ写真における風景を彩るものは、世界をどのように見、いかに再現するかということの表明の中に刻まれた、こうした写真家の信条あるいは精神性であるといってよいだろう。このような意識は、写真表現の認識論的場面における風景を、常に存在論的場面に送り返す。アダムスは、この「個人的信条」を次のように結んでいる。「写真に対する私の態度は、私たちのまわりの壮大なものから些細なことの様相における自然世界の活力と価値への信念に基づいている。…私は、人間が精神的にも社会的にも自由でなければならず、『世界の圧倒的な美』を肯定し、ヴィジョンを見、そして表現する確信を獲得する強さを自身の中に築かなければならないと信じる。そして私は、写真がこの肯定を表現し、根源的な幸福と信念を獲得するための術であることを信じている」。
 自然の存在論的定義は、内在あるいは連続性に求めることができるだろう。人間以外のものは、あたかも水のなかの水のごとく、何ものでもないものとして連続的に世界の中に内在している。ところが人間の日常世界は、このような存在の連続性を超越的に断ち切り、世界の中に非連続性としての隙間や欠落を見出し、それを埋めようとする営みの上に成り立っている。人間は知るという行為をとおして、世界の空白を発見し、それを埋めようと努力し続ける。むろんこの営みは、空白を埋める行為であると同時に、さらなる隙間や欠落を作り出す行為でもある。この際限のない繰り返しにおいて、人間は諸々の社会的なものや文化的なものを築き上げてきた。そして、人間のこのような非連続的な日常世界からみるとき、何ものでもないはずの連続性は、きわめて魅惑的な聖なる世界として立ち現れる。自然の存在論的意味としての連続性が、こうして世界の限界として出現するとき、この連続性は聖性への感情の源になるだろう。またこの感情こそが、人間を存在論的に定義するものにほかならない。
 「自然世界の活力と価値」を先験的なものとして置くアダムスは、日常世界の空白を、知るという努力によって埋めるというよりも、むしろ信念によって凝固させ示そうとする。そしてこれが、彼の写真ないしは自己の精神性を規定するものでもある。したがって、アダムスが信じることを繰り返し説くのは、信念を語るというよりも、語ることによって写真や自己の信念をいっそう雄弁に示そうとする努力においてである。このことは、彼の技術にまつわる考え方により明らかにあらわれてくる。アダムスははじめの引用に続けて、「この定義は、なぜ私が技術や写真の提示方法の不必要な複雑化に我慢ならないかの理由でもある」といっている。技術とは、そのみかけとは逆に、必ずしも世界の空白を埋めようとする努力であるわけではない。技術とはいわばブラックボックスそのものであり、インプットされるものに対して必ず何かがアウトプットされる機能さえ保障されていれば、その中間の過程の構成や仕組は装置の中に隠されていてもいっこうにさしつかえない。この意味で優れた技術とは、日常的な世界の空白を自然化する優れた装置にほかなるまい。アダムスにとっての技術が、自然の連続性をモデルにした聖なる世界を日常の中に示す装置である以上、複雑化を呼ぶような技術の用い方が不必要なものであることは当然のことである。ジョナサン・グリーンは『アメリカン・フォトグラフィー』の中で、アダムスと技術の関係についてこういっている。
 「アダムスの仕事の中での、西部の聖性におけるアメリカのヴィジョンは、進歩した技術の慎重で意識的な用い方をとおして発見されている。この、技術・自然そして精神の結合は、技術はアメリカの精神性の命運の達成の意味になりうるという十九世紀の信念に由来している。…アダムスの仕事に広がる形式主義は、彼の技術に対する信念に直接結び付いている。アダムスにとって技術とは救済そのものである。…アメリカの主要な写真家の中で、彼は最も矛盾に満ちている。彼の仕事が成功したときは、あっといわせるような成果があらわれる。失敗したときには、装飾的で鼻に付くゾーン・システム*の習作に過ぎないものになる」。
 しかし根底的にアダムスの仕事には、成功も失敗もありえないというべきである。なぜなら、彼の仕事の基底は、技術と自然の調和を見出す精神にあるのではなく、信念による技術と自然の等質化を精神そのものとみなすことにあるからである。あるときアダムスは作品集に寄せた文章の中で、自身の仕事を「主義や教義なしの表現」と呼びつつこういっている。「私の写真は、それ自体で完結する世界の終わりなき瞬間のイメージとして、ここに提示されている」。
 ところで、70年代から80年代には、19世紀の価値や様式と自らを照合しながら「主義や教義なしの表現」を、別の仕方で消極的ないしは受動的に実現しようとする風景写真の動向があった。この動向の発端となる、75年にジョージ・イーストマン・ハウス国際写真美術館で開かれた『ニュー・トポグラフィックス――人間が変形した風景の写真』の企画者ウィリアム・ジェンキンズは、カタログの序文で参加者の代表的な一人であるルイス・ボルツ(Lewis Baltz)の次のような言葉を引いている。
 「ドキュメンタリー写真が、私たちの現実性の概念に与える相互作用には、何か逆説的なところがある。ドキュメントとして機能するためには、対象が正確に客観的に描写されていることを、まず私たちに説得しなければならない。…作者または芸術ぬきで立ち現れてくるのが、理想のドキュメントであろう。しかしむろん写真は、その真実らしさにかかわらず、選択された不完全な情報による抽象的なものにすぎない」。これに続けてジェンキンズは、次のようにいう。「ボルツが提言するように、写真がよく機能し真実を支えるために作者ぬきで立ち現れなければならないとするなら、何がスタイルとなるのだろうか?スタイルなき写真を作るために、スタイルを否定することは可能だろうか?ティモシー・オサリヴァンがアメリカ西部を撮ったとき、彼は先例なしで仕事をした。…それゆえ、オサリヴァンをはじめとする19世紀中葉の写真家たちが、既存の写真のスタイルまたは美学を、取り入れることも拒絶することもなかったと結論づけることは可能だろう。…しかし本展の写真家たちが、批評的・歴史的空白の中で仕事をしているとは想像しがたい。写真を作るために自身の先例を認識し、それを選び取るために一定の仕方で見ることは、たとえその努力がスタイルの押し付けを抑制するものだとしても、あるスタイルの決定だといえるだろう」。
 技術が様々な問題を生み、その進歩が疑われる60年代後半に活動をはじめたボルツにとって、むろん技術はアダムスのように直接的な信念のありかにはなりえない。と同時に、聖性への感情を呼ぶ連続性としての自然もまた、先験的なものではありえないだろう。技術というブラックボックスの中にも空白があることを見てしまうボルツは、一方で技術そのものを対象化しつつ、他方で人間の日常世界からは自然が聖なる世界として映る構図を環境として捉えることによって、空白それ自体を超越化し、空白そのものを示す技術に自らの精神性を置くことになる。いいかえればボルツは、批評的・歴史的に見出される空白を、アダムスのように自然化することで満しもしないが、埋めもしないままに提示しようとする。スタイルなきスタイルとは、このような精神性以外の何ものでもあるまい。
 アダムスがいう「それ自体で完結する世界の終わりなき瞬間のイメージ」は、ボルツのいう「エントロピーの建築/構造」と、ねじれながら呼応する。しかし、それゆえボルツにとって、終りなき瞬間がそれ自体で完結するのはありえぬことである。この意味で、アメリカ西部を中心に都市近郊の風景をモノクロ写真で反復・構成する方法から、ポスト工業社会を象徴化するものをほとんど無作為にカラー写真で羅列する方法へのボルツの近作における変容は、そもそも彼の技術と環境の同一化に潜在していた超越化の構図に裏打ちされている。それは、今日においてアダムスのように絶対的に置かれる精神がもはやどこにもないこと、また、スタイルなきスタイルという態度のそのものには、批評的・歴史的なものは何ら含まれてはいなかったことを告げているように思える。