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[二十世紀の写真家〜その過程と軌跡1:家族写真の危機…ラルティーグとアーバス/日本カメラ1993年1月号:154-155]


 1960年代、写真の状況は、アメリカの写真評論家ジョナサン・グリーンが「アメリカン・フリーク・ショウ」という形容で回顧した様相を露にする。
 みっともないと見做され見捨てられたもの、禁じられ恐ろしいと見られていたもの、風変わりで異様なものを被写体にしはじめた、この「アメリカン・フリーク・ショウ」を飾った筆頭がダイアン・アーバス(Diane Arbus)であったことは、いうまでもないだろう。スーザン・ソンタグはこういっている。「アーバス展の中心となる人たちは人間らしいことをしている、見て楽しい人物とはちがって、いろいろな奇形人間やあいのこの取り合わせの勢揃いで、その大部分は醜く、それに奇怪なのやつましい衣服をまとい、陰気だったりがらんとしている環境にいて、立ち止まってポーズをとったり、率直な打ち解けた眼差しで観客を見つめていることが多い。アーバスの作品は見る人に、彼女が撮影した宿無しやみじめな姿の人びとと同化するようには求めない。人類は『一つ』ではないのだ」。
 画面の中心に、まっすぐにカメラを見つめた被写体を捉えることを特徴とするアーバスの写真は、人類は一つではない、そのことをもう一つの人類を写すことによって描き出す。「中心化と正面性こそが写された対象に価値を与える最も決定的な方法」だと、フランスの社会学者ピエール・ブルデューは、家族写真を軸とするような記念写真一般を考察していう。アーバスの描出の手法が、振り向かれることのなかった人びとを記録・収集・再現したという結果以前に、家族写真にみられる方法を基にしたものであることは注目されてよいだろう。この意味で、アーバスが描き出したのは、もう一つの人類によって織り成された家族の形だったのである。
 ところでブルデューは、「家族写真とは、家族が主体であると共に客体となる一種の家庭崇拝の儀式である」といっている。家族写真が担いうるこのような機能は、同じく60年代にアメリカでの評価がはじまる19世紀生まれのフランスの写真家、ジャック・アンリ・ラルティーグ(Jaques Henri Lartigue)の写真に典型を見出すことができるだろう。ラルティーグが写し出す家族は、まさにモダニズムの曙に裏打ちされた、自信にあふれるブルジョワ家庭である。
 20世紀が幕を開ける1901年、7歳の時にカメラを手にした彼は、それ以後ずっと日々の生活や自分をとりまく世界を無邪気な感動とともに撮り続けたといわれる。日常生活や休暇などの折々の姿を詳細に撮ったラルティーグの写真は、上流階級の暮らしと20世紀初頭の風俗(モード)の類い希な記録となったと同時に、「休暇が、より強い親族関係の機会であったり、またよりしばしば交流する友人との集まりの機会であったりするのに応じて、それが写真の実践の強化を助長するのは当然である。というのも写真の実践は、家族生活の記念すべき場所や重要な瞬間を不朽のものとすることを常に明らかな機能としているからである」というブルデューの見解を、先駆けて実証していたものでもある。逆にいえば、ラルティーグにおいては、自動車や飛行機といった近代化の象徴までがブルジョワ家庭のアレゴリーとして捉えられ、写真の実践の強化が文字どおり助長されていったがゆえに、それらはモードとしての家庭の記録になりえたのである。
 このように、ラルティーグが撮り続けた家族写真と、ブルデューが考察の対象にする家族写真が軌を一にするのは、どちらもその前提にしているのがモデル化されたブルジョワ家庭=近代的家族であるからにほかならない。そしていうまでもなく、ここでの近代的家族という制度は、家族写真に投影されるように、主体であるとともに客体となりうる構造によって成り立っているものである。だが、主体であるとともに客体であるとは、どのようなことなのであろうか。
 即自的な個々の成員によって成り立つ現実的な場としての家族は、また同時に、それへの否定的契機を含み込み対自的に構成される想像的な場でもある。主体であるとともに客体であること、それは現実的なものと想像的なものの境界が常に限りなく侵犯し合い、生活世界の地平そのものを溶解させてしまう危険を絶え間なく内在させている構造であるといってよい。したがって、モダニズムの動力をそのまま写真の実践に取り込んだラルティーグの写真に潜在化されているのは、いかにそれが無邪気な感動に支えられたものと語られようと、またそう語られるがゆえに、現実的なものが想像的なものであるような、そして想像的なものが現実的なものであるような、そんな危うい場所に成り立っているのが家族写真という家庭崇拝の儀式だということである。
 こうした危うい場所が、けっして家庭崇拝の儀式の場所ではないことを、アーバスの写真は物語る。家庭崇拝の儀式のための中心化と正面性という方法を極度に形式化するとともに、アーバスはそれを、家族とは対極のところにいる振り向かれることのなかった人びとの類型化に向けて用いる。
 「アーバスが正面向きのポーズを使うことがそれほど注意を惹くのは、彼女の被写体が往々にして、そう愛想よく器用にカメラに身を委せるとは思えないような人たちだからである。そういうわけで、アーバスの写真では正面向きはもっともいきいきした形で、被写体の協力をも意味しているのである。こういう人たちにポーズをとらせるためには、写真家は彼らの信頼をかちえなければならなかったし、彼らと『友だち』にならなければならなかった」と、ソンタグはいう。しかしこの、意味された被写体の協力、かちえた信頼とは、写真家と被写体の現実的な関係というよりも、想像的な関係において、振り向かれることのなかった人びとが写真によってある種の家族を織り成すことによるねじれを導く、強力な効果なのだということに注意しなければならない。現にアーバスは、自身の家族をいっさい被写体にしなかっただけではなく、被写体に写真的効果としての友だち以上の関係を持つことも望んではいなかった。アーバスはこういっている。「私が言おうとしているのは、あなたが他人になり変わることは不可能だということです。…他人の悲劇は決してあなた自身の悲劇ではないのです」。
 危機というものは、それまで深層に沈められ隠されていた現実の意味が浮上し、自明とされている諸々のことがらを根底から脅かすことであろう。アーバスが「アメリカン・フリーク・ショウ」として描き出す、ねじれとしてのもう一つのアメリカの家族、それはラルティーグにおいて潜在化されていた家庭崇拝の儀式における危険を前景化し、近代主義(モダニズム)の危機として露呈する。アーバスの写真は、ブルジョワ家庭=近代主義の陰りを告知する。
 ここで、「アーバスの写真は反ヒューマニズムのメッセージを伝えており、一九七〇年代の善意の人びとは進んでそれに心を痛めたが、それはちょうど、一九五〇年代には感傷的なヒューマニズムによって慰められ、気を紛らわされるのを願ったのと同じである。これらのメッセージには想像されるほどの違いはない。スタイケン展(『人間家族』五五年)は上昇であり、アーバス展(『ダイアン・アーバス回顧展』七二年)は下降であったのだ。しかしどちらの経験も現実の歴史的な理解を排除するためには等しく役立っている」、というソンタグの見解を思い起してみることは、無駄ではあるまい。アーバスの写真は、一方でブルジョワ家庭=近代主義の黄昏の刻印であると同時に、他方でもし現実的な悲劇――その赤裸々さや率直さのみが強調されるなら、新たな記念すべき場所や重要な瞬間を不朽のものとした、もう一つのモードとしての家庭の描出へと容易に転化するものでもある。
 だが、近代的家族という制度をどのように記念すべき場所や重要な瞬間に転化しようとも、近代主義の危機とは、ラルティーグによってすでに写真に内在化されていた、捨象しえない歴史的なものであることを忘れてはならない。