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[シュルレアリスム手法の現代写真:「オリビア・パーカー展」/アサヒグラフ1993年10月8日号:?]


 地図、骨、人形、玩具、花、金属、硝子などのオブジェを構成し、写真の中にプライヴェートな世界像を作る写真家、オリビア・パーカーの写真展が、今月、I.C.A.C.ウエストン・ギャラリー(東京・新宿)で開かれた。
 パーカーは1941年、アメリカ、ボストンに生れた。大学で美術史を学んだ後、写真のワーク・ショップを時折り受講したほかは、独学で写真作品を制作し、70年代半ばから発表活動をはじめている。このような経歴が、「撮る」写真から「作る」写真へという符牒の下に、80年代の写真表現の大きな動向になった「コンストラクテッド・フォト」の文脈で評価された作家の多くに共通するものであるように、彼女もまた80年代に入って注目されはじめた写真家である。
 パーカーの写真の特徴は、時にはアルファベット・線・影などを画面に挿入しながら、古びたものから現代的なものまでの様々なオブジェを平面的に構成し、それらを等価に配置するところにあるだろう。そしてこのような方法の中にみられるのは、シュルレアリスム的手法の現代写真への再生である。
 例えば、写真集『ファブリケーションズ(虚構の制作)』で「コンストラクテッド・フォト」の動向を概観したアン・H・ホイは、パーカーを「静物構成」の項に分類し、その傾向についてこう言っている。「20世紀初頭の偉大な静物写真家たちが、躍動する生命力を賛美し、自然と機械を調和を説き、世界を見つめたのに対し、今日の静物写真の制作者たちは、美術史それ自体を参照し、構成主義、シュルレアリスム、コンセプチュアル・アート、コマーシャル・アートなどからの種々の刺激に反応する。…今日の静物写真に影響を与えている伝統で、なかでも最も豊かな源泉になっているのはシュルレアリスムだろう」。
 80年代の写真表現に通底していたであろう感受性は、歴史や文脈に対する超越的な視線である。伝統的なものを引用しながらも、それに囚われない私的なイメージの制作を可能にするシュルレアリスム的手法は、そうした感受性によく合致するものであったに違いない。いっけん諸々の意味が連鎖したイメージを構成しているように見えながらも、積極的に物語を提示しているわけではないパーカーの作品は、そのような傾向をよく象徴しているだろう。いわば意味の空洞としてのイメージを提示した彼女の作品は、自らが属する歴史や文脈をも解消してしまう、80年代の感受性の新しさと危うさの在処を浮び上らせているように思える。