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[一貫したモダニティーと制作の視座:「植田正治の写真」/アサヒグラフ1993年8月13・20日号:133]


 一九一三年に生れ、六〇余年に渡り表現活動を続けている植田正治は、日本写真の文脈のなかで、独特の展開をみせている写真家だといわれている。生れた鳥取県から動かずにいわばアマチュアとして活動を続けてきたこと、多くの作品が鳥取砂丘という舞台を背景に演出を施して作られてきたことなどが、その理由であろう。東京ステーションギャラリーで八月二九日まで開かれている『植田正治の写真』は、初期から今日までの彼の活動を二百点を越える写真によって展覧するものであり、これまで断片的に紹介されることの多かった作品の総体を、展開の軌跡として見渡す機会を提供している。
 本格的に写真に取り組みはじめた三〇年代から五〇年頃までの、自身のスタイルが形成されていく時期に焦点が当てられた「モダニズム」、五〇年代から八〇年頃までの比較的人間や風土が強調されているシリーズを扱った「リアリズム」、ほぼ同じ時期のオブジェの風景化・風景のオブジェ化が強調されたシリーズを扱った「アティテュード」、八〇年代から九〇年代の広告写真の仕事を取り上げた「ヴィジョン」、の四つのセクションから同展は構成されている。このうち「アティテュード」と「ヴィジョン」では、類似した視点が見られる三〇年代・四〇年代の作品数点が並置されている。
 こうした構成の同展を見て誰もが驚くのは、いくつかのシリーズにおけるニュアンスの違いや時代の推移を超えた、制作の視座の一貫性であろう。植田はかつて次のようにいっている。「写真における芸術性?については、その時代によって解釈は異なりながらでも今日に至っているとおもうのだが、考えてみると、写真の発明された当時から、洋の東西を問わず、人間である以上、単なる物体の正確な再現だけに満足できるはずはなく、なんらかの美意識、内面的な何かを求め、試みようとしたのは当然であったろう」。
 彼の作品における、あるモダニティの一貫性は、このような超然とした視座とそれを維持する態度を抜きに考えることができないものだろう。絵画主義的な「芸術写真」の伝統の中から写真をはじめ、写真の独自性を探った「新興写真」や「前衛写真」の影響の中でスタイルを形成した彼は、おそらくこの視座と態度によって、戦後においても一貫したモダニティを保持した稀有な例となった。またそれが、写真の「写真性」が問われる度に、彼の作品がどこかで振り返られる理由でもあろう。日本の写真史が読み返される度に嘆かれるのは、欧米のように確固としてそれを支える文脈の不在である。だが、それを必要としないくらい、植田の作品の軌跡に見られるような日本写真の「写真性」は充足し、完結していたのかもしれない。