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[制作過程への積極的関与が意味を持つ:「今日のアメリカ写真展」/アサヒグラフ1993年7月2日号:?]


 一九八〇年代にアメリカで起こった写真表現の大きな変化は、ありのままの現実を写し出すのが写真であるという写真観を拒絶し、制作のさまざまな過程に積極的に手を加えていくものであったといわれている。
 コンストラクテッド・フォト(構成した写真)と総称されてきたこのような傾向の写真を、新しいスティル・ライフ・フォト(静物写真)という主題のもとに紹介したのが、『今日のアメリカ写真展−The New Still-Life』(伊勢丹美術館、六月三日〜十五日)である。
 展示されたのはロバート・メイプルソープ、バーバラ・カスティン、サンディ・スコグランドなど良く知られた作家を含む二十三人による、約百点の作品。この傾向の写真は、従来の写真家だけではなく画家や彫刻家、インスタレーションやパフォーマンスを手掛ける美術家などによって担われ、コラージュやアサンブラージュなどによるさまざまなスタイルの引用と折衷として展開されてきたといわれる。同展のセレクションも、そのバリュエーションを網羅しながら、その多彩な展開のニュアンスをよく伝えるものであった。
 これらの作品を、拡張されたスティル・ライフとして編んだキュレーターのパティ・キャロルは、写真表現の変容をどう捉えたのだろうか。彼女はいっている。「こうした写真では(あらゆる写真と同様に)、事実というのはどんなものであろうともカメラの前にあるものなのだ。これらの写真でカメラが記録しているものは、写真という記録形式によってのみ見せるためにアーティストが思い描き作りあげた幻想の世界である。これは、現実から瞬間をセレクトする方法、写真家が現実世界と反応しあい、現実と遭遇するチャンスが制作過程の一部になっている手法とは、まったく違う制作過程だ」。
 現実世界との遭遇に代わって、幻想の世界を作りあげることが写真表現の制作過程になる。このことは、現実と幻想という対立やその融合が、果てしなく自己の中で戯れあう表現の快楽というイメージを提供してきた。しかし逆にいえばこれは、もはやさまざまなスタイルへの注釈としてしかありえない世界に対する自己の不安を、写真による「事実化」を通して、確かな手応えへと作り変えることを渇望する表現の努力でもあるだろう。同展が浮かび上がらせていたのは、戯れの快楽という美辞麗句では収まらない、写真表現のこのような変質でもあったように思える。