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[地平線の覚醒:ルイス・ボルツ、リチャード・ミズラック、ジョン・フォール/STUDIO VOICE1992年11月号:84-90]


 リチャード・ミズラックは、写真集『デザート・カントス』のあとがきで次のようにいっている。

 人間の葛藤、その成功や失敗、利用と乱用などは共に崇高で、かつ愚かだが、これははっきりと砂漠に表れている。その象徴性や関係は、人間の条件そのものを表すようだ。ほとんど不可解な方程式であろうとそれは単純である。世界は美しいのと同じくらいひどく、しかしもっと接近して見ると、ひどいのと同じくらい美しいのだ。我々は警戒を絶えず怠ることなく、自分自身の手から世界を守り、その上、存在するがままの世界を抱擁していかなければならない。

 感情移入を排し、地理学者が観測するように、ニュートラルな眼差しによって砂漠や都市近郊の景観を細密に記録し、風景に刻まれた破壊の痕跡を美しさの中に提示する――。よくこのように形容される、70年代の後半から生じたといわれるアメリカの写真家の風景に対するスタンスは、ミズラックのこの一節によくあらわれているだろう。  もしこういったコンテクストを、破壊と美しさが対立的に写真のなかでパラドクスとしてニュートラルに提示されているという構図で読みとるならば、そこでの様々な形容は、イメージの一義性へとただちに収斂してしまい、これらの写真はけっきょく、美しいあるいはひどいといったおよそ単純な風景論的隠喩に集約されるほかないに違いない。
 しかし、ミズラックの言葉を逆に読めばそうなるように、このスタンスは写真化されたときのみかけの単純さにもかかわらず、象徴性や関係性における複雑なコンテクストをその背後に持ってもいる。それを考えてみるためには、歴史的場面そして同時代的場面を、イメージの一義性を切断しうる場面として捉え返してみなければならないだろう。
 70年代の後半から生じたこのような風景写真における風景観、とりわけその構図法の根拠には、好んで用いられる地理学者の観測や人工衛星の映像といった隠喩とは別に、明白な歴史的起源を見出すことができる。それは、およそ百年前に地質調査局の下で撮影された膨大な数のアメリカ西部の風景写真である。目的のない観測・調査など考えられないように、それらの十九世紀の風景写真における観測・調査は、単純にいうならば、未開の西部をアメリカの政治的・社会的・文化的領土に変換し、フロンティア神話を支えるという役割を担ったものであった。したがってそこでの写真は、それが今日から見ていかにアメリカ西部をそのままに捉えた記録に見えようとも、その率直さは、そうした目的論的配置に従って神話を視覚的現実に変換するレトリックによって構成された産物であるといえよう。つまり今日、ニュートラルな眼差しと形容される風景観・構図法は、十九世紀に発見され自然化されたレトリックにほかならない。
 そして、このように考えたとき、次のように問うことがまた可能になる。なぜ写真家たちは70年代から80年代にかけて、再びこのようなレトリックを意識化し、自らのスタンスを支えるものとして選びとったのだろうかと。 よくいわれるように、70年代は写真が社会的な見地から直接に問題を提起する役割を終えるとともに、私的なスタンスから写真を捉え返そうとした時代である。いいかえればそこには、あらかじめ対象化されている問題をいかに直示的映像において主題化するかという問いから、対象化という問題そのものを主題として問うことへの、問いの移行があった。そして、この問題を「私」自身を対象化しつつ抱えた写真家たちが隘路へと進んでいくなかで対照的に生じた転回が、70年代の後半からの風景へのアプローチであるといえよう。写真が社会的対象に密着することの時代的不可能性と、「私」を直接に対象化することの拒絶の狭間に立つ、この同時代的コンテクストにおいて、きわめて対象化しづらい抽象的な風景=環境という主題が、写真のレトリカルなフィールドとして再び選びとられはじめるのである。
 そしてここにある、ルイス・ボルツ、リチャード・ミズラック、ジョン・フォールの写真が共通性を示すのは、この同時代性における風景=環境に対するスタンスにほかなるまい。ルイス・ボルツは郊外を反復によって浮上させ、リチャード・ミズラックは砂漠をカントスという集合によって再構成し、ジョン・フォールは自然をパワー・プラントという座標軸に沿って描き直そうとする。それゆえ、ここでなによりも注目すべきは、彼らの方法化の水準、すなわち反復・集合・座標軸といった項目を写真のレトリックへと変換する場面にほかならない。なぜなら、そこでのレトリックこそが、美しいあるいはひどいといったことを風景論的隠喩として私たちに与えることを支えているのであり、またその効果こそが、私たちを郊外や砂漠や自然についての諸々の語りへと導いているからである。
 なぜこのことが重要なのか。それは、はじめに述べた構図、つまり美しさの中の破壊の痕跡を可視的に提示することで、高度情報化社会や地球の環境変化へのアイロニカルな批判を視覚的に提供しているというふうに彼らの写真をみなすような構図に関連している。というのも、ここで可視化されているのは、方法化の水準におけるレトリックによって構成された直示的映像につきるのであり、そこに示された象徴性や関係性における多少なりとも複雑なコンテクストを読みとりうるのは、方法化の水準を読みとる位相を外してほかにないからである。別のいい方をするならば、ここにあるのは、不可視化された風景=環境を可視化するという反転ではなく、不可視的なものがいかに不可視的かという提示である。それは、地平線が実体ではなく視点との相対的な距離の関係によって編まれる象徴的概念であるように、彼らの写真においていかに地平線がクリアに示されていようとも、それは実体のリアルさではなく、レトリックによって構成された直示的映像と概念との隔たりと結びつきのリアリティであるのと、まったく同じことである。
 この意味で、はたして彼らの写真が何かを明るみに出しているのか、あるいは隠しているのかということは、観賞者にゆだねられた両義的な問いにとどまるだろう。そして、このような両義性をドキュメントに持ち込んだことこそが積極的に受けとめなければならない彼らの写真の意義であり、またその両義性は今日的な私たちの生を条件づけるものでもある。