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[ルイス・ボルツ展「法則」から:〈環境―社会〉から〈作者/作品〉へ/日本カメラ1992年12月号:164-165]


 『RULE WITHOUT EXCEPTION:法則』展は、ルイス・ボルツの1967年から現在に至るまでの作品を集めた回顧的な展覧会である。しかしこれは同時に、それを単純に回顧展と捉えることを拒む展覧会でもある。
 ジョージ・イーストマン・ハウスでの個展『トラクト・ハウス』から、『ニュー・インダストリアル・パークス・ニア・アーバイン、カリフォルニア』、『パーク・シティ』、『サン・クエンティン・ポイント』、『キャンドルスティック・ポイント』といった写真集にもなっている代表作、そして近作のフランスの写真記録機関DATARの下で作った『フォス・セクター・80』に至るまで、ボルツは、現代の都市近郊の風景が見せる特有な形態を写真で取り出し、それを反復して構成する方法によって作品を作ってきた。これは、『法則』展でブロック毎に展示された各作品から明らかに見てとれることである。
 だが、『法則』展はそのような作品の集合としてのみ構成されているわけではない。そこには、方法が大きく変容した、大伸ばしのカラー・透過フィルムで作られたハイテク工場の内部、駐車場、街路を写した新作などが加えられ、数ヵ所の壁面には、ボルツ自身や『パーク・シティ』に文章を寄せたガス・ブレイデルのテキストの断片が掲げられいる。これらは、たんなる新しい作品やテキストの断片という以上に、従来の作品に対する指標を与え、展覧会そのものを支える役割を果たしている。こういったものの総体としての『法則』は、回顧展というより、従来の作品が生んだ文脈に対する作者自身の再解釈を含んだ、いわば自作の再構成として成り立っているものにほかならない。このことは、アメリカで出版された、断片化した従来の作品を、ボルツに対する評論とともに編んだオリジナル・カタログにおいて、いっそう明らかに強調されている。
 では、このようなボルツの再構成あるいは変容は、何を意味しているのだろうか。
 すでに幾度も語られているように、ボルツは、ニュートラルな眼差しによって景観を細密に写し、風景に刻まれた環境の変化を提示するというように要約されている、写真の新たな風景観と傾向を提示した1975年の企画展『ニュー・トポグラフィックス』を代表する一人として数えられている。この文脈を、ポスト工業社会・高度情報社会における様々な環境を写真によって写し出すというふうにのみ考えるなら、『法則』はボルツのテーマのさらなる展開として位置づけられるものであろう。しかし同時に『ニュー・トポグラフィックス』を、環境−社会としての風景に対して中立的な態度を示すことで、今日の写真が伝達することができるリアリティを導いたものと考えるとき、その方法自体の大きな変容としての『法則』が浮び上ってくる。景観の形態の、視点と距離における同一性と差異を捉える方法によって作られた従来の作品とはまったく逆に、新作ではポスト工業社会・高度情報社会そのものの隠喩としての写真を象徴的に提示する方法がとられている。そして、こうした新作や、例えばボルツ自身の「ここで、パンティストッキングが作られているのか、大量殺人兵器が作られているのかわかりはしない」というテキストが従来の作品の意味を限定し、吊り支えながら『法則』は成立している。いいかえれば『法則』は、従来の作品が導き出した方法的な中立性−両義性を一挙に無化し反転することで、作者/作品の文脈を、きわめて直接的にポスト工業社会・高度情報社会の象徴へと圧縮することに向けて再構成されているといってよい。
 こうして考えるとき『法則』展は、今日的な環境−社会を写真によって表現しているということよりもいっそう深く、作者/作品におけるこのような変容を余儀なくしている今日の写真表現が孕む問題を投げかけているように思われる。