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[現代写真の発想〜90年代の水脈をさぐる1:写真的「写真」について1/日本カメラ1992年1月号:152]


 1893年2月22日、ニューヨークの厳しい吹雪のなか、アルフレッド・スティーグリッツ(Alfred Stieglitz)は五番街の街角に3時間も立ちつづけた結果、ようやく自分の望んでいた場面を写すことに成功した――。これはスティーグリッツが『冬、五番街』を撮影したときの余りにも有名な、そして今日でも語り継がれているエピソードであるが、この逸話を一番初めに語ったのは他ならぬスティーグリッツその人であった。このくだりは、シリアスな目的には適さないと貶められていたハンドカメラでも、忍耐によって充分優れた絵画的(ピクトリアル)写真を作ることが可能であることを述べたエッセイに、その証左として記されたものだが、こうした事情を含み入れて読み返してみると、この逸話が彼自身によって戦略的意義を伴なって語られたことが、思いのほか重要であることに気づく。
 自らの写真を提示しながら、それについての解釈を同時に語ることで、写真の独自性やその新しい芸術的価値を位置づけること。始めの逸話からのち、彼の主張はそのつど矛盾を孕みながら変転していくが、写真家にして同時に批評家、そして組織家でもあるという一人数役の内に、そうした矛盾を動力として取り込み、スティーグリッツは写真の近代性を体現しつつ構築していったのである。
 スティーグリッツが1902年に組織し、その後の活動の基盤としたグループに「写真分離派(フォト・セセッション)」がある。そこで彼が写真を何から何へ分離しようとしたのかは判然としない。しかし、この宣言の意味合いの帯びたいささか気負いの込められたグループの命名に、写真の近代性の構築のために、ともかく伝統的な写真観から彼の考える「写真」を分離する必要があったことだけは、充分に感じとることができる。その必要性とは、どのようなものであったか。それをおおむね次のように要約することができるだろう。第一に、ボードレールなどにみられる19世紀的な写真観、つまり写真は対象のたんなる直截な再現にすぎず、芸術的な想像力を含みえないといった批判的な写真観からの分離によって、写真の芸術的価値を認めさせること。第二に、19世紀的な芸術観にいわば寄生するように従属するヨーロッパのピクトリアリズムの理念からの分離によって、写真の独自性を確保すること。新しい「写真」の領域を切り開くこととは、この二点を同時に含み持つことに他ならない。こうした必要性のもとで、きわめて活発な組織化とその活動を裏打ちとして実質的に展開されたのは、絵画的(ピクトリアル)写真の内に写真の再現的機能を肯定的に織り込んでいくことによって、新しい「写真」の領域――「ストレート写真」という理念を構築していくことであった。それゆえに、スティーグリッツは写真家であると同時に批評家でもあり、その活動を組織的な枠組みのなかで絶えず推進しなければならなかったのである。そしてそれは、ピクトリアリズムの理念と様式、写真の再現性の意義と価値を、従来の枠組みから「ストレート写真」への移行の過程に含み込みながら変形していく試行錯誤のなかで、写真独自の新たな想像的な力、写真的イリュージョンを発見していくことでもあった。
 写真を撮ること/見ることの純粋な経験であることを主張するスティーグリッツにとって、写真を撮ることとは対象のたんなる再現を所有することではなく、撮ること/見ることにおいて対象そのものをいわばめざすことであり、その意識の志向性にこそ写真の想像的な力が求められている。そしてここにおいてはじめて、ロラン・バルトが「写真に写っている一個のパイプは、つねに、どうしようもなく一個のパイプである」と言うような、写真の再現的機能の明証性、つまり対象に対して同語反復的で断言的な性質が、そうした経験のありかの確証として積極的な価値を帯びてくる余地が生まれてくる。だからこそ彼にとって最も重要なものにみなされるのは、適確な瞬間をとらえ慎重に焼き付けるという忍耐強さ、この作り手の信念にしか基準をもちえないようなことがらなのである。そしていうまでもなく、これが写真的イリュージョンが発見される領域に他ならない。空の雲だけを写した晩年の作品『エクイヴァレント(等価)』は、そこでの志向性と明証性がついに矛盾無く統合された姿、いいかえれば、根本的かつ絶対的な根拠としての〈私〉と対象との関係の観念的な達成であると言えよう。彼はそれについてこう言っている。「被写体は何でもよかったのだ。どんな被写体であれ、私はそこに私自身を写すことができる…」。
 今日の私たちにとって重要なのは、スティーグリッツのこうした営為が、写真を象徴的な価値を持つものに押し上げた代わりに、それ以降「写真」が一般的な文学や絵画と違って、明証性と志向性という二つの領域を、写真的イリュージョンという一枚の印画紙の裏表として同時に考えざるをえなくなったことである。ゆえにスティーグリッツ以降、写真表現に関わる者が「鏡」か「窓」かという単純な二者択一を問いとしてもったことは一度としてないだろう。むしろ彼らは、その一方を選べば必ず他方がまとわりついてくること、つまり写真という枠しかない奇妙な鏡の、鏡像と鏡自体の区別に苦しみ、あるいはそこに〈私=写真〉という奇怪なイリュージョンを見出すことでようやく安堵しつつも、そのもろさに怯えてきたのだと言うべきではないだろうか。