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[写真展・時評12:写真展の現在/写真の現在/日本カメラ1991年12月号:136-137]


 以前書いたように、現在「表現とは何か」「写真とは何か」と素朴に問うことが、そのまま意義のあることと見做されないのだとすれば、この一年間の展覧会を振り返ってみるとき、そこにあるのは、そこから見てとれた表層的な傾向や動向といったものではけっしてないだろう。くわえて、ふだん当たり前のように展覧会と呼び慣わしているある発表形態それ自体が、きわめて多層的な形をとりうるものだということが、新しい美術館やギャラリーの開設によって実質的にも明らかになったのがこの数年なのだとすれば、このことはなおさらである。展覧会もまた他の発表形態同様、それ自身を指し示しながら、写真表現の空間に言及し、それに絡み合い、社会的・文化的な諸々の表現空間と連関しながら、特有の傾斜や序列を形成する写真の言説的実践であるとすれば、この一年を振り返るという仕種は、ここ数年におけるある種の状況の顕在化、ここ十年来の写真の言説空間の変容を考えることと無縁でないばかりか、それを要請するものですらある。
 この十数年のあいだに写真の言説空間はどのように変容したのか。そこにおける言説的実践は何を語り、何をおこなってきたのか。そしてこの一年の展覧会はそれを反省的俎上において捉えたとき、何を表現していたものなのだろうか。
 ここ数年の展覧会を振り返るとき、まず特徴的なのは、写真史的な展覧会が多く催されたことであろう。一昨年の写真誕生百五十年という区切りに関連した企画、そして日本の近代写真に焦点を当てた企画、戦後から現在の写真を一定の区切りにおいて捉え返す企画などを思い起こすのは、さほど難しいことではない。だがそれらを振り返るとき、何ら写真史に対する明確な視座が思い浮かばないのはなぜなのだろう。奇妙なのは、写真における歴史的分節にこれほど関心が寄せられながら、歴史についてはそこで奇怪なほど何も語られていないことである。80年代は言うまでもなく、大文字の「歴史」が否定された時代であった。つまり、写真を一般的特色やジャンルによって整理し、それに従って作品を年代順に位置づける、もしくは重要と見做される作家の年代誌のなかでその生涯と作品を捉えるといった、ある程度公認され標準化された従来的な歴史観に従って写真を語ることが無意味なこととされ、ことによっては歴史を語ること自体が罪悪視されかねない気分がそこにはあった。
 しかし、出来事について語ることが不可避的に過去の因果関係を捉えることに根ざす以上、いかなる言説にもある歴史観は暗黙の内にしのびこんでいる。「歴史」を疑うこととは、ヘーゲル的な完結した歴史観の自明性を疑うことであり、同時に出来事や作品/作者というものの自明性、さらには語ること自体の自明性を疑うことにほかならない。80年代後半から今日に至るまで様々な場面で唱えられているのは、従来の線状的な写真史の否定であり、写真作品と写真作品との連関や他のジャンルとの相関といった、同時的に生起した出来事の相互葛藤する幾重にも重なった面として歴史的空間を切り開く、同時代的な層としての歴史の把握である。だが、そうした提唱が飛び交うことと、それがなされることとは別のことだ。実際になされたのは、「歴史」を嘲笑する身振りをとりつつ、自らが立脚する観点や従来的な歴史観を解体する新たな歴史観の提出を不問にすると同時に、従来的な歴史的分節や写真の言説に内面化された「歴史」を疑うこともせず、写真の魅惑や力をなしくずし的に説くことである。そこでくどいほど語られなければならなかった、写真の独自性あるいはその裏返しの脱領域性とは、諸々の制度的要請によって写真史を扱うことに直面しながら、一方で脱領域的・脱歴史的な視点の構築を怠たり、他方で反近代的な身振りだけを温存していたことの、ネガティヴな表現だったと言ったほうがよい。
 こうしたことは過渡的な状況においては避け難いものであり、また、写真はここ数年のあいだ歴史にばかり関わっていたわけではないという見方もありえよう。むろん、こうした事態は歴史というタームに集約されるべき問題ではない。むしろそれは、ここ十数年の写真の言説空間の変容の帰結のほんの一面にすぎない。
 70年代をある種の変節の時代として、80年代には写真を捉える問題機制の総体的な入れ替えがおこなわれた。端的に言えば、個人と社会といった対立的な構図に基づく〈表現と記録〉といったタームによる把握が退けられ、代わって〈欲望〉や〈身体〉といったタームが写真を語る基盤となっていった。つまり主観/客観という対立に基づく区別が、構造的・概念的区別に変形されていったのである。例えば〈欲望〉というタームで考えてみるならば、欲望を、自らを写真的制度へと位置づけ封じ込める属領的な契機と、それを越え出ようとする非属領的な契機に区分し、欲望の本質を後者におきながら、これを再び制度へと構造化する属領的な契機をつきとめ、それに対抗するというのが、そこでの典型的な思考の枠組みだと言えるだろう。外部的な分割の線を、内部的な区分へと書き替えるこうした思考の重要性は、かつて対称的な構図において捉えられていた諸問題を、あらゆる現象における分離不可能な非対称性において見出すことにある。そしてこのような思考は、それを徹底化する限りにおいて自己差異化する制度への消極的な、しかし少なくとも内部的な制度を意識化するという意味では、現在とりうるおそらく唯一の抵抗の基盤となりうるかもしれないものであるが、そこでもし非属領的な契機に盲目的な信頼を置くならば、ただちに一元化した価値を無自覚に強制していく最悪の思考に容易に転化するものでもある。
 〈欲望〉や〈身体〉や〈記憶〉、〈魅惑〉や〈力〉、〈愛〉〈死〉〈都市〉〈旅〉〈光〉あるいは〈アウラの喪失〉〈プンクゥム〉〈それはかつてあった〉といった80年代に写真を捉えようとしたタームが、その非対称的な両義性を写真に見出すために用いられたことがどれだけあっただろうか。確かなことは、おそらくは写真の非属領性の本質として規定されてきたそうしたタームのあれこれが、例えば〈写真の身体〉といった奇妙に同語反復的な用法により写真それ自身を指し示すことによって、それによって見出されるはずの非対称性をなしくずし的に解消してしまったことだろう。つまりそこでは、写真の非属領性を見出す身振りにおいて、言説それ自身を拒絶する言説的実践が延々と繰り返され、自己差異化する制度に自らを属領化する努力、自らに内面化された属領性に恐ろしく無自覚なゆえに、もっとも強力に属領化を体現する努力がなされたことになる。そのような磁場において、歴史的な事項が掲げられながら、歴史については何も語られないこと、のみならず奇妙なほどに写真の魅力が幾度も語られなければならなかったことは、いわば当然の帰結である。そしてコンテンポラリーと呼ばれる写真が、自らを自由であり、活性化していると滑稽なほど繰り返し言わなければならなかった不自由さの理由もここにある。
 ここ数年で顕在化してきたこうした写真の言説空間は、この一年のあいだにも変わることなく、というより、より顕著にそれ自身を露出させてきている。いまやダゲレオタイプからコンテンポラリーまで、すべての写真は何の差異もなく一様にすばらしいと言う属領化の努力以外の、諸々の実践はほかならぬ〈写真の身体〉や〈写真の欲望〉によって抑圧されるほかなく、作品や批評はそれ自身を賛美する以外になんの手立てももちえてはいないようでもある。
 それとも、このような見方はたんなる危惧にすぎず、これもまた過渡的な状況の一面に過ぎないのだろうか。
 確かにある意味ではそうだろう。現在私たちが自明のことのように思い描いている「写真」、あるいは写真を見たり読んだり語ったりしている価値の基盤、ここで見てきた言説空間の変容そのものが、たかだかここ十数年における言説的実践の産物に過ぎず、それを恒常的なものと保障するものはどこにもないのだから。いずれにせよ重要なのは、80年代から今日に至るまで唱えられてきた字義的な批判や抵抗がこうした事態を引き起こしたわけではなく、それとはまったく逆に、そこで暗黙のうちに了承されてきた価値の審級における力学関係が、それ自身の引き裂きにおいて腐蝕や亀裂を露出させているのだということだ。そしてひとつだけ言えることは、こうした変容を盲目的に極限にまで押し進めた言説的実践におけるアイロニカルかつレトリカルな「戦略」などは、それに対して何の有効性ももちえないだろうこと、そしてそれをどのように意識するかは別として、これを逃れうる立場などは、もはやどこにも残されてはいないであろうことである。