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[写真展・時評11:共同作業という可能性/日本カメラ1991年11月号:134-135]


 ここ十年ほどの間に、いくつもの新しいメディアが人間の生活に入り込み浸透していく姿を、私たちは目の当たりにしてきた。そうした出来事は、これまでの人間の生活のパターンを決定的かつ不可逆的に変容させてきたと言えるだろう。そして、このことは、多くのメディア論が語っているように、メディアという媒介が、たんに道具的使用(手段)にかかわる機能を担うだけではなく、それ自身のもっているメッセージ機能が、同時に文化やイデオロギーのシステムとして機能していることの具体的な証しでもある。
 自己(主観)と世界(客観)との、はっきりとした分離、明確な距離の把握が近代の前提としてあるように、メディアもまた道具として捉える限りにおいては、同様の前提の上に、自己と世界を切り結ぶ媒介として成立していると考えられる。しかし、文化やイデオロギーのシステムとしてもメディアが機能するのなら、明確な距離を置いたはずの自己と世界の分離の自明性は、その両者がはてしなく入れ換わる闇の奥底へと投げ込まれ、揺らぎ続け、実存的な不安がその根底に生じよう。したがって自己や世界といった諸々の存在は、個人と社会(文化)といった紋切り型の把握に対していささかも安定した位置をとりうるわけではなく、その逆に、すべてこのような実存的な不安、揺らぎの内に内在しているものにほかならない。メディアの発達を一様にある種の進歩とみなすような考え方は、こうしたところに生じる揺らぎをより整合的・細分的に捉えることで、世界と自己との階層関係を調和的に把握する術にすぎず、つまり、それらはいかに近代的な主客関係を疑っているような仕種をとろうとも、その裏側では無条件に近代的な自己形成が常に信じられているのだと言えよう。
 ところで、写真という近代に発達してきたメディアが、表層的にはもはや古びたメディアとなってしまったことは、誰の目からも明らかなことであろう。しかしその一方で、新しいメディアによってもたらされた生活領域における変容は、写真表現の内にも溶け込み、写真を制作する者、そしてそれを見る者の内在的変化の中で再生されるであろうこともまた事実である。例えば今日私たちは、写真を考えようとするとき、写真というメディアの道具的使用の側面だけではなく、同時に写真表現それ自身が担う機能や意味をも含めて捉えることを強いられている。これは、写真というメディアが技術的更新によって内的な活性化がなされていた(あるいは、と信じられていた)ある時代までは、調和的に融合されることによって抱えずに済まされた類いの問いであり、また、今日それが不可避的な問いであるということは、写真がもはや古いメディアであることを示すことであるとともに、新しいメディアによってもたらされた変容を写真表現の内に再生する営為を、今日の写真表現が不可避的に担っていることの証しでもある。そして、ともかく言えるであろうことは、このような事態、こうした時点を迎えたことで、写真というメディアが写真自身の自己言及性を内在させていることが、はじめて明示しうる問いとしてその姿をあらわしたということにほかなるまい。
 このような表現の局面を考えようとするとき、80年代の表現における共同制作(コラボレーション)という制作方法が、こうした事態と深いかかわりを持った実践として浮かび上がってくるように思える。写真というメディアそれ自身がすでに自己言及的であり、これまでの表現の枠組みを形作っていた、問いの構図それ自体が表現のシステムとして機能しているとしたら、そして、そうしたシステムにおける問題機制がもはや自己と写真という枠組みに還元することが不可能なものであり、むしろそこでの揺らぎやシステムの機能をこそ表現の内在的問題として問うことが今日の写真表現にとって不可避のものであるとしたら、制作という局面においてもそれに応じた編制が考えられてしかるべきだろう。今日、共同制作が注目されるべきなのは、メディアの変容に対応した、制作という局面の細分化をなしうるからではなく、また、そこから制作という行為の整合的な位置を再び設定しうるからでもなく、それが手段(道具)であると同時にシステムでもあるところの写真が抱え持つであろう、表現論的な問いの内在性にかかわりうる編制であるからにほかならない。
 例えばここ二、三年、多くの個展や企画展に出品しているグループに、アイデアル・コピーがいる。その一連の作業の中でも、参加した企画展の出品作家のポスターを作品として提示した『FACES OF 10 ARTISTS』(「脱走する写真」水戸芸術館/90年7月)、美術家に送付し最初の一コマだけを撮影してもらったレンズ付きフィルムを展示・販売した『OPEN』(フォト・インターフォーム/90年9月)などは、ここでの関心と端的に呼応するものであろう。社会や文化のシステムの中での写真というメディアの機能をいわばなぞることにより、ここで作品化され、表層化されているのは、写真それ自身が担うメッセージ機能の在りようにほかならない。そして重要なのは、こうした作業が共同作業という局面でなされることによって、彼らの作品がそれ以上でもそれ以下でもない位相で展開されていることである。つまり、写真をいかに用いるかという主体化された問いはここにはなく、写真がいかに用いられているかをただたんに語ることが、制作という局面すらメディア化されることによって可能になっているのだ。彼らの作業は、今日的な表現のシステムを隠しもしないが、露にもしない、ただ表層化するのである。
 こう考えてみると、同じ様にこのところ多くの個展や企画展で作業を展開している、コンプレッソ・プラスティコやHetH(アッシュ・エ・アッシュ)といったグループにおける写真表現の位置もおのずと浮かび上がってくるだろう。もし彼らの作業の比重が、共同制作によって制作という局面をメディア化することに置かれているのだとしたら、そこで問われうる写真の使用の問題は、作ることのさなかにあるのではなく、それがもたらすメッセージの効果にかかわってくるものである。そして、そうである以上、彼らの制作するものは、写真が現在、社会・文化のシステムの中で機能しているのと同じ程度には、効果的なのだ。逆に言えば、そこでは効果の問題にしたがって、作品に頻繁に登場する彼ら自身の姿はむろん、スローガン的な言葉などの諸々の配置といった作ることが規定されているのであり、今日的な表現のシステムは最大限に活かされるだろうが、それ以上でもそれ以下でもあるはずがない。
 だが、このような制作の枠組みを考えたとき、そこには奇妙なねじれが見当らないだろうか。つまり、原理的には常に事後的にしか見ることができないはずの、メッセージ機能の在りようや効果が、作ることの基底に繰り込まれるということは、不可解なことではないか。もちろん、現状の表現のシステムに対応する範疇において、そこで生じる様々な偏差を再導入し、再生すること、つまり、そのようなねじれを整合化することが、共同制作という編制によって可能になっているのではあるが。
 方眼状の黒い線を写した写真を基に、水に浸された方眼状の黒い線を写した写真と実際に水に浸されたその写真との対比、白い球と立方体にその写真を投影したもの、板にその写真をずらして貼りその上に赤のペイントを規則的に施したものの提示によって、写真とそれが見られる条件の関係を展開した、倉垣卓磨+仙木肇による『MATERIAL TO EDIT - STILL II』(大倉山記念館ギャラリー/8月20日~25日)が興味深く見えるのは、共同制作という編制がそのような場面に出会うときである。写真と物と見ることの関連の問題を作品化したこの作業は、いっけんすでにこれまでに試みられた作業の繰り返しにも見えるが、そうした従来の試みと根底的に違っているであろう局面は、ここでは作ることの共同性がその基底として据えられていることにほかならない。言い換えれば、今日の表現における写真の使用とそのシステムの両義性、すなわち自己言及性を積極的に取り込む作業としての共同作業がここでの基底にあるとするなら、自己と写真という枠組みで思考されていた従来的な問いを、異なった問いの形へと転回する可能性がここには孕まれていると考えられよう。そしてそれは同時に、共同制作という編制が、現状の表現のシステムを写真において表層化しうるだけではなく、そこでの根底的な揺らぎ・偏差を内在的な問いとして制作の場面で扱いうることの可能性でもある。
 80年代の表現における大きな変容の一つは、写真が自己との関係においてある以上に、それ自身が自律的な差異化の機能を担っていることが次第に表面化したことであった。この決定的な変容が不可避的なものであり、かつ、80年代の表現がそうした変容との調和的な位相を切り開くことに埋没していたとすれば、今日の私たちが直面していることは、それを表現論的な場面で、いかに内在的な差異の問題として組織しうるかということにほかなるまい。こう考えたとき、共同制作という編制にかかわる問いが、作るという場面のみならず、今日的な写真表現そのものにかかわる根底的なものとなってくるだけに、ここに横たわる問いは、充分検討されるべき重要な課題を私たちに投げかけているように思える。