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[写真展・時評10:問い返される主体の位置/日本カメラ1991年10月号:146-147]


 これまでのところ、写真論や写真史といった写真の言説は、本来そなわっているはずの写真の機能を現実において見出そうとする過程であると同時に、生身の写真家の営みとの連関において語られてきた、と言ってもおおむね外れてはいないだろう。ここでは、二つの事柄、つまり写真の機能と生身の写真家とが区別されることなく、発想の基盤をともにしている。だが、こうした自明化された基盤において考えることは、今日においては、あまりにも楽天的な写真観に基づいていると言えはしないだろうか。
 例えば私たちは、普段あたりまえのように、写真を撮る者のことを写真家と言ったり、作家と言ったりしている。しかし、少し考えてみればすぐにわかるように、写真の鑑賞者である私たちは、ある写真を見ることで生身の写真家に出会うわけではない。写真家(作家)とは、作品に先行して存在するわけではなく、ある写真から作品としての意味を読みとるために、必要とされる概念にほかならない。つまり、写真家は写真における言説の中に、まさに制度として遍在している。とするなら、写真家というあたりまえの呼び名、その自明性について考えることは、写真の言説につきまとってきているイデオロギーについて考えることと別のことではないはずである。
 この夏続けて見ることのできた桑原敏郎、田口芳正、長船恒利の展覧会(桑原敏郎『隘路“未来の物語のための採集-写真/記憶の滲み"-より』・田口芳正『反覆-給水塔の見える風景』連続展、FROG I、7月23日~7月28日・7月30日~8月4日/田口芳正『反覆』、焼津市・柳屋ギャラリー、7月25日~8月6日/長船恒利『在るもの』、FROG I、8月6日~8月11日)は、ある意味でこうしたイデオロギーに最も自覚的な世代の写真展であったと言えるだろう。
 田口は長船の写真展によせた文章で、70年代の後半を振り返って、〈主体の自己表現という通俗的な枠組みに自足している写真観にも、その裏返しである、ブラックボックスとしての写真をとおして事物そのものを収集するという写真論にも飽き足〉らなかったこと、そして、〈それと同質の問題意識を長船恒利の写真にも嗅ぎ取った〉ことを書いている。ここから考えるならば、先行する世代の写真観・写真論を問い返そうとする彼らが問題にしていたのは、写真表現をめぐる主体の位置、そして主体性であったと捉えることができるだろう。写真表現における主体の位置を問い返すこと、これはすなわち、従来自然化されていた写真家という存在の自明性を疑うことであり、さらにそれが写真家である彼ら自身の実践によって問われることとは、写真家という主体の只中で主体性が問い直されることにほかなるまい。
 例えば桑原は、自身の作品についてこう語っている。〈ここで試みる作業は、撮影した世界が、必ずや私自身の記憶の中にもぐり込み、いまだ語られていない物語を、遠い未来あるいは今、私に語らせてくれるであろうことを想像しつつ、写真を撮ることにある〉。いっけんありふれた撮影行為についての記述にみえながら、ここには、写真を撮るという現実的な行為の内に、撮影された写真(世界)が自身に新たな物語を語らせるだろうと想像する撮影者が繰り込まれるという、複雑な構図がある。すなわち桑原にとって写真を撮ることとは、自己の具体的な行為であるとともに、連続展での約束事を〈私の想像や、夢想を解き放つ束縛〉と捉えたように、そこで生産された写真が自身を変容させそれを語らしめるという言説上の実践が繰り込まれたものでもあるのだ。端的に言い換えるならば、ここでは、撮る行為における自己と写真の言説の中での自己が、表現行為の内で観念的に二重化されている。
 ここで注意すべきは、こうした二重化された自己が、主体の撮影行為自体の自明性によって支えられているのではなく、その逆に、撮影行為の明証性が疑われることによって、観念的に二重化され、ずらされた自己が、桑原の表現の実践の契機となり、いわば主体性のありかになっていることである。インスタレーションとも呼ぶべき桑原の展示においては、一方で撮影者の歩行や視点の移動が写真の配置において示されると同時に、他方でそれ自体が具体的な撮影行為と言説としての撮ることが交錯する契機となり、そこでこそはじめて作品が読まれうるものになるのである。つまり、ここではいっけん具体的な撮影行為が初源的であるかに見えて実はそうではなく、両義的関係におかれた自己とその言説の実践こそが初源的なものになっている。
 〈記憶や経験という個人的な問題を追及していく桑原と、社会的制度としての「見ること/撮ること」の対自化を優先する私の違いとして、とりあえずは図式化できるかもしれない〉と田口が述べるように、視覚的要素の感知から対象を認知・判断することを方法化された位相に置くことで、それを主体的に構造化し、撮ることの極点を獲得しようとする田口の表現行為は、桑原の表現行為とは対照的なものにも見える。しかし、写真表現の認知の過程をぎりぎりのところまで形式化しようとするこの試みは、その試みの過程自体が写真を撮ることとそれを見ることとの重層的な内包関係を強力に喚起するものとなる。言い換えれば、田口の方法的な形式化において、撮ること/見ることが経験的位相において徹底して不在化されると同時に、その表現の実践の過程自体の動力によって、解体され不在化された写真の言説が経験的位相に繰り込まれ、言説それ自体が自律的に運動していく地平を作り出していくのである。
 田口の、撮影者の移動にそって並べられた写真数枚が、撮影地点ごとにユニットとして並べられた連続展での展示や、写真展『反覆』における撮影者の移動にそって写真が並べられ組まれた(あるいはそれがさらに複合化された)作品は、桑原の展示に比べると、きわめて受動的に形式化されているように見える。だがこの方法的な言説上の実践が、一方で写真の言説の解体であるとともに、他方でその過程自体を保障する自律性を立ち上げること、つまり、この方法的な形式化が経験的位相に繰り込まれることではじめて読まれうるものになっていることを考えるとき、私たちはここでもまた、二重化された自己と言説の実践が表現の初源的位相となっていることを見出すことになる。
 桑原、田口の連続展は、〈とりあえずの、お互いの約束事として、70年代終わりに行った写真展の撮影場所を、それぞれ取り変えて撮ってみる〉ことから始められたものだという。こうした展覧会の契機を含み合わせつつ、この連続展から両者の表現を捉え返すとき明瞭に照し出されるのは、時制や場所そして指示される対象といったことも含めた言説の実践なしには、写真表現それ自体が意味も対象もそもそも持ちえないということにほかなるまい。そしてこのことが、写真(印画)と撮影者の関係に切り詰められた形で提示されるのが、〈まわりのモノと空間に付加されてくる「意味」が、うっとうしくてならなかった〉と自身の作業について述べる長船の写真においてであろう。〈全体を欠いた部分とその断片の提示は、解釈する眼の優位性を放棄する作業のように思えた。よって写真という現実における、知覚の方法論についてのプラクティスでもあったと思う〉と語る長船の表現の実践は、いっけんすると、写真から意味を排除し事物そのものと写真そのものが相補的に融合するといったような地平を、経験的位相に埋め込むことで見出そうとする試みにみえて、そうではない。〈写真という現実〉という言説的な転倒が方法的になされることによって示されるのは、写真に対する現実の優位性の自明性を問い返すことによって、撮ることで見出されるものとしての対象を意味の拮抗関係に置き、撮ること自体を言説の実践として位置づけ直すことにほかなるまい。
 むろんここでみたような表現論的位相と、私たちが今日属しているであろう80年代的な表現の磁場とのあいだには隔たりがある。ひとつは、写真表現における主体の問題を撮ることにおいて問い返す地平の連続性が今日では失われているからであり、もうひとつは、イデオロギーという言葉が今日の写真表現には縁遠いものとなっているように、反省的・懐疑的俎上において表現における主体の問題を問うこと自体が、80年代半ばにはすでに退けられていたからだ。しかし、だからといって80年代の表現が、ここにみられるような表現のアポリアを乗り超えたと言えるだろうか。むしろ、それはたんに解消されたのである。そしてそれは、こうした言説の実践を私的な物語によって内面化することで、実践の放棄を実践に見せかけ、言説の自律性にのみ埋没することに耽るかつての写真家と、主体性を問わない代わりに何ら主体的立場もとらない写真家によって今日でも担われている。だがそうしたこと自体が、80年代の写真の言説的実践のイデオロギー的表現になっていることをみるとき、ここでの写真展から読み出されるであろう様々な問いには、まさに今日的な問いとして組織されるべき不可避的・根底的な性質が孕まれていることに、私たちは直面せざるをえないのではなかろうか。