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[写真展・時評8:ストレート写真のありか/日本カメラ1991年8月号:130-131]


 会場に展示された約百五十点の写真、〈赤道〉という題名、そして展示の数ヵ所に記された幾つかの短い文章。港千尋による写真展〈赤道〉(5月16日~28日、コニカプラザ)の構成をごく簡単に記してみるならば、このようなものになろう。そしてこれをさらに、赤道のドキュメントと一言で記してみたとたん、私たちはそれが思いのほか複雑性をおびた意味の場において展開されていることに気づかざるをえない。赤道に生きる人々とその文化、それを旅という体験をとおして撮影する写真家、そして写真化された人々・物・風景を〈赤道〉という抽象化された主題に統合する技術と方法。少し考えてみただけでも、ここにおけるドキュメントとは、写真を媒介に赤道における文化の姿を透明に伝えるものではなく、むしろそれとは逆に、一枚一枚の写真、写真数点によるユニット、文章、そしてそれら相互の連関によって練り上げられた、幾つかの位相における幾つかの意味の体系が交錯する場において展開されていることがわかる。ここで撮影の技術として用いられているのは、スナップ・ショットというきわめて率直な技法であり、かつ一枚一枚の写真にはその技法以外に格別の処理がなされているわけではない。いっけん対象を直接に写しとっているのみに見えるこのようなストレート写真が、なぜそれ自身において意味を展開する契機となりうるのだろうか。そして、なぜかくも複雑な意味を含みうる場となりうるのだろうか。このことを考えてみるためにはまず、ストレート写真という、今日ではいささか古びた響きを伴いながらも、近代写真以降のさまざまな変転において写真的価値観と密接不可分である表現の磁場を捉え直してみる必要があろう。
 今日その語感から様々な暗黙の了承がなされてはいようが、ストレート写真とは、写真史的には明確にその起源を見出しうる言葉である。それはアルフレッド・スティーグリッツによって提唱された、それまでのピクトリアリズムを否定し、カメラの機能を生かしその再現性・記録性を重視する表現であるとされている。そしてこの二項対立的構図に、写真における近代性の成立を、換言すれば、写真が「写真のための写真」として自立しようとする運動性の萌芽をみることは、誰にも異論がないことであろう。しかし、カメラの機能を生かしその再現性・記録性を重視することの提唱とは、どのような写真の言説空間の成立を意味しているのだろうか。
 ストレート写真の提唱を近代写真の成立として捉えたうえで、それ以前の言説空間を考えてみるならば、ピクトリアリズムとは前近代的芸術観によって支えられた形式としての絵画芸術の範疇に収まるものであり、写真の機能から引き出される様々な有用性、例えば肖像写真・資料写真といったものは、けっしてピクトリアリズムと対立しあうものではなく、それぞれが独立した機能として併存していたと考えられる。スティーグリッツはここに、ピクトリアリズムと対立的にストレート写真というタームによって新たな領域を成立させることで、ピクトリアリズムを近代写真の言説空間から対立的に排除するとともに、肖像写真・資料写真といった従来的な写真の社会的機能の一部分をも近代写真の価値(「写真のための写真」)として含み込みながら写真の近代性のありかを構築する。こうしてスティーグリッツによって戦略的に形作られたストレート写真の言説空間とは、写真の機能の様々な有用性をピクトリアリズムと対置することで、そこから近代写真のありかを引き出し編み上げられたものであるとともに、一方で「芸術のための芸術」という近代的芸術観に合致しそれに支えられたものでもあるだろう。
 写真史を振り返ってみると、このストレート写真というタームにおける言説空間は、スティーグリッツ以降、ポール・ストランド、エドワード・ウェストン、アンセル・アダムス、そしてハリー・キャラハンといった伝統的と言われる近代写真の流れにおいて継承されているということにとどまらず、ドキュメンタリーの写真家においても写真に対する認識のありかとして共有されていることをみることができるだろう。例えば、ウォーカー・エヴァンスはFSAの活動と対立しプロジェクトを解雇されている。また、アンリ・カルティエ・ブレッソンやロバート・キャパなどは既成のフォト・ジャーナリズムのシステムや方法論に不満を抱き、写真家による独立エイジェンシー“マグナム”を結成するに至る。そしてロバート・フランクは、渡米後ファッション写真を手掛け、また、写真展“ファミリー・オブ・マン”に参加するなど、ピクチャー・ストーリーの仕事に関わりながらも、写真集“アメリカ人”以降そうした世界と訣別する。
 こうした出来事の背景を考えるとき、私たちは、ストレート写真という領域にそのはじめから潜んでいた、ある意味での矛盾に立ち会うことにはならないだろうか。それは、ストレート写真が、写真家の創造的自己意識という近代的自我の確立によって支持されると同時に、カメラの機能を生かしその再現性・記録性を重視する(神秘性や抽象性を排除する)という写真に対する直接性によって支えられていることの矛盾である。つまり、ストレート写真とは手放しなイメージ(写真映像)の直接性を基底としているわけではなく、そのはじめからイメージの直接性と写真家の作家性との矛盾、言い換えるなら、その両者が相互に干渉し交錯しうる位相を基底として表現の実践的場面を形成してきたと言えるのではないだろうか。そしてさらに重要に思えることは、ストレートいう言葉とは裏腹に、ある意味での矛盾を基底とするこのようなストレート写真の言説空間の形成が、近代/現代美術において音声・文字言語と視覚的(ノン・ヴァーバル)なものが互いに矛盾しながらも交錯し、より曖昧で複雑な表現の抽象化がなされてきたことにアナロジーしているようにみえてならないことである。
 ここで再び、港千尋の写真展〈赤道〉を捉え返してみよう。ドキュメンタリーの方法として用いられているのは社会学的アプローチ、もしこう言ってよければ文化人類学的・構造分析的方法である。展覧会のはじめに、撮影されたアフリカのガボンとサントメ、アジアのインドネシア、南アメリカのエクアドルのうち三国は、重要な熱帯林の保有と原油産出国であり、「“システム”の維持に必要なのはエネルギーと情報の流れの支配だが、その末端ではほころびが急速に拡大しつつある…」と述べられていることからもわかるように、ここでの赤道とは地球規模の社会的・経済的変動の極限的状況が顕在化した地域として考察の対象に選ばれたものだと考えられよう。[土に還るとき][長い水辺][大きな木][森を焼く火][道][市場の黄金]といった展示に関連して数ヵ所に記された文章の題名は、土・水・木・火・金といった物質の生態的な連鎖を示すと同時に、水辺・道・市場といった連鎖のシステムを物語り、地理的意味での赤道は、こうした分節によって、社会的・経済的変動の極限的状況を浮かび上らせる隠喩的な主題となる。また、社会的・経済的システムの記述が現地での経験的挿話とともに編まれた文章は、考察対象としての赤道についての言及であると同時に、旅をする港自身に言及的であることによって主題としての〈赤道〉の視点を物語るものでもある。そして以上が、端的な意味でのこの展覧会における言語的位相だと言えるだろう。さて前述したように、訪れた地域の具体的な姿は、スナップ・ショットという技法によって直接的に捉えられている。これを少し細分化するとすれば、人々の表情を捉えたポートレイト的技法、物の形を捉えたクローズアップ的技法、そして人々や物の姿を対比的・複合的に捉える技法による風景、これらに重なるカラー/モノクロという感剤の選択、と大別することができよう。そしてこれらを、対象を視覚的イメージとして具体化する技法とみなすことができるだろう。撮された人々・儀式・習慣・生産物・風景などの意味が読みとられる可能性が立ち上がるのは、こうして写真に具体化される視覚的イメージと言語的位相が相互に重なり合う位相においてにほかなるまい。ところで、写真展〈赤道〉において注目されなければならないのは、この両者が単純なかたちで符合することが回避され、両者の意味の体系が重なり合う場が調和的には保たれていないことである。つまり、視覚的なイメージと言語的位相の意味の展開の性質の隔りこそを、港は積極的に展覧会の構成に用いているように思えるのだ。従来的なルポルタージュという観点からすれば、けっして曖昧さをまぬかれてはいないであろう写真展〈赤道〉が、にもかかわらず、きわめて暗示に富んだ意味の展開の契機をそなえているのは、パネル、フレーム、写真の大小、それらの組み合わせと連関といった写真の構成、つまり視覚的なイメージと言語的位相が交錯する場において、その両者の融合しえない意味の体系が相対的に展開されながらも、複雑に絡み合った結び目が形作られているからにほかなるまい。そしてこうした試みは、港が、ストレート写真が孕みうる複雑な意味の位相、意味の体系を充分に承知したところで、はじめてなされうるもののように思えてならない。
 このようにしてストレート写真をめぐって考えてみると、その語感とは裏腹にそれはいささかも単純なものではなく、その言説空間は、たんに今世紀初頭の歴史的事項にとどまらないばかりか、写真表現の基底的位相を考えるうえで、今日においても等閑視できない重要な問題を孕み続けていることが明らかになってくる。そしてさらに、80年代の写真表現がそうした近代的価値体系の乗り越えを急ぐ余りに、そこでの根源的な矛盾を溶解させ、かえって近代/現代写真における価値の根底を不可視のものにしたことを思い起こすとき、近代的言説空間としてのストレート写真のありかをこうして顕在化させている港千尋の写真展〈赤道〉の今日的重要性もまた、いっそう際立ったものになってくると言えはしないだろうか。