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[写真展・時評5:「遠心的読み」がもたらした事態/日本カメラ1991年5月号:130-131]


 展覧会を見てまわっていると実感することだが、ほんの数年前に比べてみても、写真にまつわる個展・企画展は増加し、それをめぐる言葉もいろいろなところで交わされるようになっている。いっけんするとこれは、写真への興味が広範囲に共有されている状況のようにもみえる。たしかに、ある意味ではそうだろう。だが、そうした実践的場面が、写真とは何かを見出そうとする努力において活性化しているのかと言えばそうではない。これは様々な文化においての今日的状況と無関係ではないだろう。現在では、文学、美術、音楽といった文化的ジャンルにおいて、例えば、この文学作品とは何だろうか?この美術作品とは何だろうか?と問うこと自体がほとんど意味を持たなくなってしまっている。写真というジャンルもその例外ではなく、この写真作品は何だろう?と問うこと自体が意味がないとみなされるばかりか、ことによってはそう問うことが罪悪視されることすら珍しくはない。
 これは、写真を見、何ごとかを語ることに直接関わるだけに重要な問題である。では、なぜこのような状況が立ち上がっているのだろうか。

 写真とは何かと問い、それをめぐる論議が写真というジャンルを形作っていた時代そのものを対象化して見られるようになると、この問いの形自体が抱え持つ制度があらわになった。つまりそれは、写真とは何かという問いが、暗黙のうちに写真とは何々であるという答えを要請するという構造である。この問いと答えが対応関係で結ばれる形が批判の対象となったのは、写真が潜在的に持っているであろう意味の可能性を、この対応関係が無理やり抑圧し呪縛すると考えられたからにほかならない。こうした問いの形をとる限り、多義的であるはずの写真作品に、究極的には一義的な意味しか与えられない。作品の内に本来の意図があるとして捉え、作品を純化された意図という核に還元する運動性を持つそうした求心的読みは、あらゆる位相で批判の対象となっている。
 80年代に試みられたのは、こうした求心的読みに対する遠心的読みである。それは、写真作品の周縁は絶えずその外部に向かって拡がり、常に新たな意味の可能性を包含させていくと考えることで、写真表現の一義的意義を求める形から抜け出そうとする実践と言えるだろう。この遠心的読みを支えるのは、作品の生命は純化された核に還元されるものではなく、むしろ周縁に生ずるものと考える前提である。ここでは、多様な意味を含みもつタームが批評/作品において用いられる。すでに幾度か拾い上げてきた〈都市〉や〈身体〉という言葉がその代表として数えられるだろう。こうして考えてみると、ここ十数年間における写真批評・写真論の多くが、そうしたタームと写真とが交差する上で写真を周縁的に捉え、語ってきたことに改めて気づかされる。
 ここで確認しておかなければならないのは、そうした実践においての写真の言説がどのような性質を抱えるものであるかということだろう。いかに遠心的読みの試みをしようとも、それが写真批評・写真論である限り、それはすぐれて近代的な営為であり、そこでのタームのモデル化は避けられない(前号参照)。つまり、その遠心的読みの内になんらかの形で求心的姿勢が入り込んでいないはずはない。写真の言説という近代性をいかに変形していこうとも、それが写真を理解しようとする行為であり、そして、それが同時に批評や論理というレベルで同化吸収しようとする行為の上に成り立っているものであることに変わりはない。すると、遠心的読みとは、けっして単純に写真を可能性に導くものではないことがわかる。もし遠心的読みを徹底して基底的位相に据えるならば、そこでの言説は批評を突き抜け、写真という表現のジャンルとは無縁の物語が立ち上がるのみであろう。遠心的読みの可能性と批評・表現の危機は、常に表裏一体となっている。これが、遠心的読みによって、批評・表現の危機を叫ぶことの求心性自体が批判されながらも、文学・美術といったジャンルで批評の危機・文学の危機・美術の危機が繰り返し問われざるをえない理由である。遠心的読みの可能性自身が、構造的に批評の危機を呼び起こすのである。
 振り返ると、そうした根底的な危機を知らないかのように遠心的読みが無限定に賞賛され、多様な可能性が繰り返し語られたのが写真表現の80年代であったようにみえる。もしそうであるなら、周縁的な遠心的読みが自らの足元を突き崩す行為とも知らずに、それをこぞって喜々として実践するこの姿は不可解である。この危機を知らないという不可解な状況は、写真を読み取る努力を一方的に退けることと、写真表現の豊かさを示すこととを短絡的に取り違える言説において如実に示されている。そこでは、写真を語るべき言葉を持たないということがどのような事態なのか考えられもせず、誇らしげに語り得ない写真の魅力が繰り返し語られている。しかし、今のところ、そうした遠心的読みが写真表現を徹底的に追い詰め、写真批評/写真作品を自壊させた形跡はない。とすると、そうした事態にもかかわらず、写真表現の調和的レベルがどこかで保たれていることになる。
 こう考えるなら、写真表現が今問題としなければならないのは、周縁的な遠心的読みそのものの微細な点ではなく、求心的読みの批判的関係から生まれた遠心的読みの構造的な在り方であろう。調和的レベルが保たれているのは、この二つの読みを、実に簡単におきまりの二極構造に置くことで、遠心的読みの優位が自明化されているからにほかならない。そこでは、本来写真批評・写真論である以上入り込んでいるはずの求心的姿勢すら、自覚できなくなってしまっている。なぜなら、批判的姿勢を忘れた遠心的読みが、まさしく求心的に自明の優位を形作っているところでは、その求心性が問われようがないからだ。様々な批判が行き交っている文化的状況のなかで、写真表現が無垢の可能性を保っているようにみえるのは、言説がこうして空洞化され、批判の対象となるような理路すら無くしかけてしまっているからだろう。言い換えればそれは、写真について考え・作り・語ることの意義までも無くしかけているということである。
 重要なことは、遠心的読みが近代を乗り越えたところで見出されたわけではなく、それもまたまさしく近代的批評の枠組みの内で見出されたものであるということにある。それが担うのは何よりも、求心的な読みが要請する問いと答えの対応関係が唯一絶対的なものとして凝固することの不可能性を批判的に示すことである。遠心的な読みが戦略として機能しうるのは、むろん写真とは何かと問うことを一方的に無化するときにではない、求心的な読みが唯一絶対的な真理を導くことを回避しつつ、写真を考え・作り・語ることをなお積極的に肯定しようとするときである。

 さて、このところの展覧会において、それをどのような枠組みにおいて考えるべきかをまず考えざるをえない作品が数多く発表されていることは、こうした事情と無縁ではないはずである。
 70年代に美術において写真が用いた作品が登場した時、それらの多くを支えていたのは写真をメディアとしての優位に捉える認識であった。アース・ワーク、インスタレーション、パフォーマンスなどを写真に写し作品化することを支えていたのは、写真の直接性・記録性・明証性といった前提である。むろん、写真によって視覚の制度性を作品化するコンセプチュアルな作品を支えたのも同様の前提である。しかし、80年に入ってから写真を制作に持ち込む作家が写真を捉える姿勢は、それと根本的に異なってきているように思える。彼らは、美術や写真をある枠組み・制度として捉えた上で、写真を制作の一部に据える。そこでは写真がメディアとしての優位に置かれているわけではない、美術や写真といった枠組みが、なによりもまず制度としてパラレルな関係に置かれている。これは、美術とは何か?写真とは何か?と一義的に問うことの不可能性から表現にかかわることを余儀なくされ、作品と批評が調和的に織り成す表現の自己完結的な構図から弾き出されてしまった80年代の作品/批評が、その実践的場面において不可避的に措定しなければならなかった前提である。ここでは、作家は制作に携わりつつ、制作に対しての言及的な構えを作品に内在せざるをえない。あるいは、批評は作品の内にそうした構造を見据えないかぎり、何ごとかを語りはじめることはできない。
 こうした今日的な表現の実践的場面を考えるとき着目されなければならないのは、昨年の後半から今年の始めにかけて個展や幾つかの企画展で精力的に作品を発表している小山穂太郎、佐藤時啓という二人の作家であろう。例えば、小山の作品は〈記憶〉といったメタファーによって、佐藤の作品は〈光〉〈時間〉といったメタファーによって語られることが多い。注意しなければならないのは、作品を物語るそうしたモデルが引き出されうるのは、彼らの作品に、写真という制度が美術という制度の内にいかに位置づけられ、いかに捉えられているかが言及されているがゆえであるということだ。小山は写真を作品化するのに、印画の像そのものの表面を傷つけるというもっとも端的な手順を踏み、それを行為化している。また佐藤は、ノッチコード・イメージサークルといった写真を指示する記号を作品に取り入れた上で、画面上の白を光(ペンライト・鏡)を指示する記号として自らの行為を記述する。こうしたことは、すでにモデル化され制度化されてしまった制作行為そのものに、改めて制作という位置を見出そうとする努力として、まず捉えられるべきことである。かつて問いも問われもしなかった表現する主体という自明化された制作における立場を洗い直し、いまいちどそれを見出そうとするこの努力は、いっけん平易にみえて困難な営為である。そして彼らの作品を、今日読まれるに値するものとしているのは、まさしくこの営為にほかならない。だが、こうしたことを、制作行為の反復の内で自然と発見されたこと、あるいは、写真をメディアとして優位にとらえる前提において自然となされたことと考えるならば、彼らの作品の意味は直ちに、表現の自明性を強化するメタファーへと転化してしまうだろう。むろんそうしたメタファーは、表現の基底的位相に遡るようにみえて、そうではない。つまり〈記憶〉〈光〉〈時間〉といったメタファーは、彼らが改めて分節化し記述した制度に生じる意味を、遠心的読みによって制度を越えた位相に圧縮してしまう。だがすでに述べたように、制度を越えた位相など表現という近代的制度にあるはずはない、そうした読み自体が作品の意味を空洞化する制度なのだ。
 彼らの作品が評価されるべきなのは、そうしたメタファーによって読み出される、その自由な素材の流用においてでも、制度を問わない姿勢においてでもない。彼らが制作において直面しなければならなかった不自由における身振り、すなわちポスト近代における近代的努力こそが、今、積極的に肯定され、読まれなければならない。