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[写真展・時評4:〈写真の身体〉とは一体なにか/日本カメラ1991年4月号:150-151]


 このところなぜか気になっている言葉がある。それが用いはじめられたのはごく最近のことではないのだろうが、ここしばらくの写真の言説のなかで際立って確かにある重要性を担っているようにみえて仕方がない言葉、〈写真の身体〉という言葉である。〈写真の身体〉とはいかにも奇妙に聞こえる。それは、印画の表面の上の像である写真が、物理的には肉体(身体)も精神も持ち合わせてはいはないからであろう。
 〈写真の身体〉という言葉がある重要性を担っているようにみえるのは、なにも最近になって多くの言説にその言葉が直接に用いられはじめたからというわけではなく、むしろ個々別々に見出してきたはずの写真を語る例えば〈光〉や〈時間〉や〈記憶〉といったメタファーがある言説空間を形作り、そのなかで〈写真の身体〉という言葉がそうしたメタファーを支え/支えられるものとして機能しているからにほかならないだろう。したがって、いかに有機体的ニュアンスを帯びていようとも、それもまたあくまでもある言説空間のなかで育まれたメタファーとしての〈身体〉に違いない。では、そうした〈写真の身体〉とはいかなる写真表現の生産関係において育まれたものなのだろうか。
 身体またあるいは身体性などと言ったとき、私たちはすぐさま肉体(身体)と精神、人間と社会といった二項対立における一つの項としてそれを捉えがちである。しかし、身体というモデルが何らかの問題を孕んだ概念として立ち上がるのは、むしろそうした二項対立的な枠組みの実定性がくずれだし、その対立的関係が接合する点を見出す必要にせまられたときではないだろうか。言い換えるなら、両義的関係における構造を基底的位相から支えるのが、身体という概念モデルだということになる。このような観点から、写真表現の生産関係における作品という位相がどのように機能してきたかを考えるとき、身体という概念モデルは思いのほか今日の写真表現についての重要な問いを抱えたものとして浮かび上がってくる。
 写真表現において身体という概念モデルが立ち上がってくるのは、現実と写真家という二項対立をつなげる媒介としての写真においてそれが見出だされるときであろう。例えば、土門拳の“絶対非演出による絶対スナップ”という言葉に象徴されるだろうリアリズム論的地平においては、この媒介としての写真が現実と写真家という二項対立における両義性を身体として実定的に支えている。この主体−客体の関係が安定した地平においては、媒介としての写真の両義性そのものが問われる契機が含みこまれる余地はない。身体という基底的位相が問われはじめるのは、そうした現実と写真家という枠組みがくずれはじめ、現実が不透明なものとなり、写真表現が写真のありかを問いはじめるときである。
 六本木の画廊における『ギャラリーコレクション展−写真のコンテンポラリーアート』という企画展は、むろんそのタイトルが示すように、ある指針によってというより写真と何らかのかたちで表現という場でかかわりをもつ作家の作品によって編まれていたものだが、むしろそれゆえに、私たちにすでに馴染みのあるそこでの幾つかの作品を、こうした問いと重ねて考える機会を与えてくれるように思える。
 例えば私たちはここで、山崎博という写真家とその作品の道すじを、現実と写真家という二項対立的枠組みがくずれたとき、写真表現がいかにして写真を問い、写真を見出さなければならなかったのかということの、ひとつの明確な体現として捉えてみることができるだろう。リアリズム論的地平における写真とは、媒介としての充足した身体である。しかし、ひとたび現実がくもりはじめるならば、身体はその両義性をあらわにしはじめる。そして、写真家は現実を透明に指し示すための媒介としての写真ではなく、もはや何ものも透明には指し示しえない「写真」と不可避的に向き合うことになる。つまりここでは、充足した身体としての写真が、写真と写真家の間に折り返され写真表現の場として、写真家、あるいは写真家の意識における「写真」によって、絶え間なく問い直され引き裂かれる。ここにおける身体とは写真家と写真を基底的に関連づけるものであると同時に、絶えず互いを問いたずね合わせる両義的な運動性の生成の場である。こうした位相での作者にとって、この不透明性の内で対象を見出すこととは「写真」を見出すことであり、写真を見出すこととは「対象」を見出すことである。だが、見出された「写真」や「対象」はけっして固定的なものではない。作者は制作の結果である「写真」から作者である〈私〉を問い、問いを抱えた〈私〉がまた「写真」を制作する、こうした反復においてその都度生じるずれによって揺らぐ身体が制作の場である以上、作者も「写真」も互いを決定づけ吊り支える項たりえないからである(「“写真”を撮りたいですね。対象を撮るのではなくて…」「成立する写真を求める」といった山崎の言葉は、こうしたことを裏付けるもののように思える)。したがって、ここでの作者にとっての方法・技法とは、制作を保障するためのものではいささかもなく、そうした反復においてはじめて発見されるものである。展示されていた山崎の作品における、海や太陽といった対象、あるいは長時間露光といった技法それ自体は何ら珍しいものではない。また、それらの組み合わせがとりわけ画期的であるということもない。注目すべきことは、そうした技法がどれほど手垢にまみれたものであろうと、それが制作行為における反復によって新たに発見され、練り上げられたものであるということだ。70年代から今日にいたるまで偏差を含みながら展開されている山崎の水平線のシリーズは、まさにそうした制作行為の体現というほかないものである。水平線のシリーズにおける機材や感材、場所や撮影時刻といった違いは、たんなるヴァリュエーションではむろんありえず、その都度山崎にとって不可避的に必要とされたものにほかならないだろう(もちろん私たちは、こうした制作行為を昨年の展覧会「櫻・SAKURA」や「CRITICAL LANDSCAPE」にも見出すこともできる)。これを踏まえるならば、山崎が〈私的〉な写真家か〈コンセプチュアル〉な写真家かを問うことは、大きな意味を持たないことがわかる。もし彼が「対象」という意識において「写真」にかかわるのなら彼は〈私的〉であり、練り上げられた方法を「思考」として再び対象化するならば彼は〈コンセプチュアル〉である。そして、じっさいには両者の比重はその都度異なるとしても、この二つを厳密に区別することはできないのだから。
 振り返ってみると80年代に入ってから次第に顕著になったのは、そうした制作行為自体をモデル化して作品という場面に圧縮し、作家もその外部に立ち、作家/批評家が作品を文学的な物語として語ることである。そうした言説空間を体現している作家として私たちは杉本博司を思い浮かべることができる。『ギャラリーコレクション展』に展示されていたのは〈ジオラマ〉〈劇場〉シリーズのみであったが、写真表現に関わる者ならばこれに〈海景〉を付け加えた三部作を思い起こすのはさほど難しいことではないだろう。ここには物語を語りはじめるための様々な装置がちりばめられている。いっけん本物の動物のように見える〈ジオラマ〉は実は博物館の剥製であること、〈劇場〉における空白のスクリーンは実は映画一本分の光によって白くとんでいること、同じように見える海と空だけの〈海景〉は実は世界各国の海を長年に渡って撮り歩いたものであること、そうした作品は8×10という特別な写真機を使って特別な現像処理によって作られたものであること、そしてこの一連の作品を作る杉本という「国際的」な作家……。こうして杉本の三部作は誰もが語りはじめることのできる物語の装置となり、文化にたずさわる誰もがそれを語ることによって、誰もがそれを語りたがる作品となる。むろん、杉本はすでに70年代に制作をはじめており、〈ジオラマ〉や〈劇場〉シリーズもまた制作行為の反復によって練り上げられた結果であると指摘するのはたやすいことだろう。だが、私たちが今日目にするのはあくまでも物語としての杉本であり、その三部作なのだ。そこにおいては、そうした指摘こそが物語としての杉本の結果であり、制作行為を物語化する一端を担うものにほかならない(杉本自身、〈ジオラマ〉や〈劇場〉シリーズの一部を再制作し、より統一性をもたせた作品にしている)。
 では、こうした装置によって形成される言説空間において、身体とはどのようなところに見出されるのだろうか。両義的な運動性の生成の場としての身体は、モデル化された制作行為という作家にとっての対立項に向かっていまいちど折り返されることによって、再び作品と作家という二項対立における両義性を支える実定的な場となっているように思える。かつてのリアリズム論的地平において写真が現実と写真家を媒介する充足した身体であったように、今日では写真は作品(文化)と作家を媒介する充足した身体へと変容しているようだ(「アートメディアとしての写真」という言葉は、端的にこのことを示しているだろう)。このように考えるならば80年代の後半に、〈愛〉や〈性〉や〈死〉や〈旅〉といったメタファーによって安易に作品を語ることしかできない批評が続出し、文化的地平において文学的な物語をつむぎだしていったことは何ら不思議ではない。また、あえて列挙するまでもないだろうここしばらくの展覧会において、〈作品〉や〈文化〉や〈近代〉をモデルとして描いた作品が多く見受けられるのも当然の成り行きと言えるだろう。ここで抑圧され隠蔽されるのは、両義的な運動性の生成の場としての表現であり、そこで実質的に編み上げられている価値の審級である。充足した身体は、その両義性がけっして問われないことで、自らの揺らぎを隠蔽する。かつてのリアリズム論的地平において、その枠組み自体を解体する契機を含み込む表現論的問いが実質的にはけっして問われえないように、もし今日の写真表現が作品(文化)と作家を媒介する充足した身体と化しているなら、制作と批評という実践的な営みは、その時々によって、モデルとしての制作行為と作家/批評家という実定的な二項のいずれかに入り込むことによって、表現論的問いを実質的に解消していくものにすぎなくなるだろう。なぜならここでは、制作行為が問題となるときには作家/批評家はその外部から語り、作家/批評家という制作行為の外部が問題となるときには、作家/批評家は自らを制作行為というモデルに埋め込むことで、表現が自己充足的なものとして凝固していくからである。
 こうしてみると、〈写真の身体〉という写真を語るあるメタファーにすぎないはずの言葉が、有機体的ニュアンスを帯び、今日の言説空間の中で重要な役割を担っている理由は明らかであろう。〈写真の身体〉という言葉が写真表現の生産関係においての両義的関係に遡ることなしに、あたかも肉体(身体)をそなえた写真というような実体性において用いられるとき、それは文化の器官に写真を充足した身体として埋め込むメタファーとして機能するものにほかならない。今日においての〈写真の身体〉という言葉は、いっけん写真表現の基底的位相に遡るようにみえながら、まさにそれゆえに、それ自体が価値の序列の表象であることを隠蔽するメタファーの典型であるとは言えないだろうか。