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[写真展・時評2:ポストモダン状況のひとつの帰結/日本カメラ1991年2月号:128-129]


 今日の表現の地平を見渡してみると、かつてと根底的に変容した問いの体系をそこに見い出すことができるように思われる。その変容を私たちは、ポストモダニズムと呼んでみることができるだろう。
 近代科学や社会科学にとどまらず芸術と呼ばれる領域にまでいきわたっていた、社会を正しく認識することによって人間が世界を主体的に操作しうるという前提のもとでの近代的な世界像の把握はもはや有効ではない、と近代的社会認識そのものの不可能をポストモダンは物語る。いつの時代でも思想や表現の変容は、新しいものの訪れを告げ、魅力的なものに見える。私たちにとって、このポストモダンということもむろんその例外ではなかった。
 東京国立近代美術館で開催された『移行するイメージ』は、そうしたポストモダンと呼ばれる状況のもとで80年代の映像表現がどのような実践的場面を形成し、表現の問題が個々の作品において結果的にどのように共有されていたのかを鮮明に照らし出す。「写真の自立やその芸術性の確立という伝統的な問題」には関心を向けないとされる6ヵ国26名の作品から組み上げられた同展は、いっけんすると日本で形成された表現の地平や写真の文脈と直接関連するように見えないが、じつは、それゆえに個別的な位相に浸透し合った特有の問題の捉え方とその実践の磁場を浮上させるものである。なぜなら、80年代においてはポストモダンのタームそれ自体が語るように、問題はまさに〈横断的〉に共有されたのだから。おそらく十年ほど前から、表現のジャンルを問わず語られているポストモダニズムにおいて共通する認識は、端的に言うなら次のようなことであろう。社会とはもはや人間にとって手の触れられないものとなっていること、また、世界とは独自の運動性が内在化されたひとつのシステムであり、それを操作しうる人間(主体)は表層的にはもはやどこにも見い出すことができなくなってしまっていること。そしてこうしたことは、今日の私たちに何らかの位相・何らかの形で実感としていきわたっていることではないだろうか。
 『移行するイメージ』が照らし出すのは、そうした実感−−ポストモダニズムがもたらした、80年代のある美術の作品/批評の根底的な変容と実践的場面でのその帰結である。企画者は出品者の実践の地平を次のように語っている。「本展に出品している美術家たちにとって写真は、その特性を検証するための対象ではない。(中略)写真は彼らにとって単なる経済的な表現手段であり、それ以上に生産=消費の回路を象徴的に体現する身近な工業製品である。彼らの作品に用いられる写真イメージは、それを生産・伝達し、われわれの中に幻想のリアリティを成立させるマス・メディア=消費社会という巨大なシステムの象徴的な断片なのである。美術家たちの作品は、この巨大なシステムへの対抗的な極小システムとして提出される。彼らは、このシステムに干渉し錯乱を生み出すことが、現代の美術表現において重要な基本的戦略であることを明確に理解している」。こうした磁場を支えた作品が集められた同展において私たちが見い出す表現についての問いの体系とは、ではどのようなものだろうか。
 同展における作品の多くから、ポストモダン状況におけるシステムのありようを映像によって表象するという制作の図式を何らかの形で読むことは、さほど難しいことではない。例えば、ジェフ・クーンは、広告を作品化することによって、高度消費社会における消費に対する欲望のオートマティックな記号的増殖のシステムを美術の文脈に持ち込む。また、森村泰昌は、そうした記号的増殖のシステムは美術という制度そのものにも内在していること告発する。レンブラント、マネ、野島といった美術史上の作品に彼自身が入り込むことによって、彼は美術史それ自体を相対化し作品化する。ここで注意しなければなければならないのは、そうした同展における作品が、芸術(表現)に対する認識の不可能性を語っているわけではなく、むしろ表現に対する認識についてのひとつの実践であるということだろう。したがって、反芸術における芸術なるものに対する違和は、そこにはいささかも見当たらない。言い換えれば、芸術なるものに対するイロニーをそこに見い出すのは不当なことである。そこで一様に共有されているのはむしろ、高度消費社会におけるシステムを積極的に美術の文脈に導き入れ、それに芸術を調和させようとする努力なのであって、その逆ではない。だが、そうした作品が主体と芸術のシステムの関係性の不可能につきあたる性質のものではないにもかかわらず、なおかつ同時にその不可能性を宣言する性質を合せ持ってしまっているのは、いかにも奇妙な事態ではないだろうか。
 同展に見ることができる、表現の実践的場面におけるそのような奇妙なねじれは、主体と芸術のシステムの関係性の不可能につきあたる道筋をもたないにもかかわらず、システム内に潜む動的な諸契機を積極的に押し広げることでシステムそのものを変容させようとする試みをスローガンとしてのみ掲げもった作品が、当然ながらそうした試み自体を図式化し物語ることに集約されたことの現実的なあらわれにほかならないように思える。そこでは、表現の多種多様な実践の可能性のついて語っていたはずのポストモダニズムが、主体が芸術のシステムの構造の内に組み入れられているという一元的な認識を繰り返し物語る実践へと転倒している。それが、映像表現において露呈したことはたんなる偶然ではない。なぜなら、事物を再現=表象する装置としての写真は、同時にすぐれて再現=表象を図式として事物化(作品化)する装置として機能するからである。そしてそこでは、そうした写真の両義性が、そのようなねじれをメタレベルに保留するためのものとして、あますことなく活用されている。
 80年代には「戦略」や「可能性」といった言葉が幾度も交わされたが、それが果たして何のための戦略でどのような可能性なのかを問うてみたとき、それに対する答えを今日どこにも明確には見い出すことができないことを考えるならば、こうしたことは当然の帰結であるといえるだろう。もちろんそれは理由がないことではない。そうしたことを問う目的意識を退けることが、広く流布したポストモダニズムの「戦略」のひとつなのだから。しかし今にして思えばそれは、近代的な目的意識を退け多様性に対して表現を開こうとするあまり、システムをそうしたものとして対象化する当の自己意識について問うことすらも退ける、短絡的なものであったと言わざるをえないのではないだろうか。確かに今日、近代的世界観に合致するような人間(主体)を見い出すことはできないし、また、そのような人間像を描くことの有効性も失われている。だが、そうした把握を可能にするメタレベルは自己意識(自己言及)によってのみ立ち上がること、そして自己意識は可能性としての物語を見い出すことでメタレベルを作り出すことを忘れてはならない。そうした自己(主体)に対する問いを意識的に解消するポストモダニズム的「戦略」が、自己目的化し、システムそのものに積極的に自己を位置付ける物語へと容易に転化するのは、なんら不思議なことではない。森村泰昌が一連のシリーズにおいて、また、ここでは出品されていなかったがジェフ・クーンが「メイド・イン・ヘヴン」シリーズにおいて、それぞれの文脈の中で引用されたイメージに何よりも彼ら自身があらわれなければならなかったこと、つまり、私と美術についての物語を彼らが端的に語りはじめたことは、こうしたこととけっして無縁ではあるまい。それは作品の展開というよりも、システムの運動性に寄り添うことから導かれる当然の成り行きなのである。そこでは表現は、もはや知的でシニカルな自己表現の道具としての芸術でしかなくなってしまっているように思える。そしてそのような表現の磁場において一方的に無力化されてしまっているのは、何よりも当のポストモダニズムが標榜していたはずの、表現の可能性を見い出そうとする多様な実践的な努力にほかならないのではないだろうか。
 先に述べたように、このようなポストモダン状況におけるひとつの帰結は、写真の文脈においても等しく浸透していることのように思える。したがって、80年代のある表現の地平を見渡しうる形へと編み上げた企画者の「ポストモダニズムの実践が様式として消費され風化されても、その言説が陳腐化し、モダニズムの枠組みの内での自己運動にしか過ぎないと批判され、排除されようとも、80年代美術の知的背景を成したこの理念は、より包括的な形で捉え直されなければならないだろう」という提言は、写真の文脈においてもきわめて重要なものとなるに違いない。
 私たちは、このようなポストモダン状況のもとで、写真がいかなる価値概念を自らの内に内在化させたのかを検討すべき時期にさしかかっているように思える。