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[自己肯定のもっとも容易な手段:80年代のセルフ・ポートレイト/イメージフォーラム 1991年8月号]


 写真家が自身を対象としてポートレイトを撮る。セルフ・ポートレイトの定義はじつに単純であり、またそれは古くから多くの写真家によって為されてきたことでもある。だがなぜ、80年代の写真表現を顧みるとき、そこにセルフ・ポートレイトという技法がタームとしての特別な意味をもって浮かび上がってくるのだろうか。80年代のセルフ・ポートレイトを考えるときまず思い浮かぶのは、そこで為された多くの試みが、虚構の空間の中に自らを置きつつ自身が作品に登場するという構図において語ることが可能なことだろう。むろん、ここでの虚構の空間とは、自身が登場する背景を現実に作り上げるということにかぎらず、それがいかにいっけん自然に写されたものであろうと、そこに虚構性に満ちた空間を見出しうるということである。
 例えば、死に瀕したロバート・メイプルソープによって写されたセルフ・ポートレイトを思い起こしてみよう。エイズに侵され衰弱した自分自身を写したモノクロームの写真は、メイプルソープがまっすぐにこちらを見つめる、手法としては古典的とも言えるセルフ・ポートレイトである。しかし、頭蓋骨の付いた杖を握り締めた拳に焦点が合わせられたその写真は、メイプルソープの現実としての死を様々な隠喩に結び付けうる虚構としてのリアリティを充分に持ち合わせてもいる。また例えば、シンディ・シャーマンが自身に特殊メイクを施し、体の一部分だけを画面に登場させた一連のセルフ・ポートレイトを思い起こしてみよう。病に侵され断片に切り刻まれたそこでの体の部分は、明らかに死を想起させるが、むろんここでの死とは虚構の死である。だが、演じられ描かれた死がそれ以上のリアリティをそなえているのは、写真によってその虚構のリアリティが倍化されているからにほかならないだろう。
 メイプルソープにしてもシャーマンにしても、またその他の80年代の多くの作家にしても、ある共通した意識によってセルフ・ポートレイトを試みたということではむろんあるまい。メイプルソープとシャーマンとを比べてみても、写真を組み上げていく方法やコンテクストはまるで違っている。だがその一方で、それらをこうして並列化して捉えることが充分可能なことも、また事実である。とするなら、ここで考えてみなければならないのは、セルフ・ポートレイトというタームに括りうる作家を羅列しその共通性を読み出すことではなく、かくも異なる様々な表現の方法やコンテクストを括りうるのタームとしてのセルフ・ポートレイト、つまり80年代のセルフ・ポートレイトとその言説が形作った表現の磁場にほかなるまい。
 80年代における表現の磁場の根底的変容とは、それまで自明化されてきた写真表現のコンテクストとそこでの諸価値がくずれだしたことだと言えるだろう。実際の場面を見れば、それは一方で、従来的なコンテクストから方法や問題意識が解き放たれたことであったが、他方でそれは、表現を価値づける諸々のコンテクストが捨て去られたことでもあった。つまりりそこでは、従来的・伝統的なコンテクストや諸価値が洗い直されるべきものとして問われる以前に、たんに乗り越えられるべき表現を束縛する制度的布置として捉えられたのである。だがむろん、価値づけられずに位置づけられる表現などありはしない。今日から振り返ってみると、80年代の表現もまたコンテクストや諸価値から自由になりえていたわけではなく、諸々のコンテクストや諸価値が相対化され一元論的磁場に溶解したところに自明化された価値が見出されているように思える。それが顕在化しているのはおそらく、いっけん写真のありかを根源的に問うているようにみえる、表現の基底的位相にかかわる諸々の言葉においてであろう。例えば、様々な場面で用いられてきた〈欲望〉という言葉を思い出してみよう。撮る欲望、作る欲望、見る欲望、自身を見つめる欲望、廃墟への欲望、欲望としての写真、欲望としての死……。むろん欲望とは表現を語るとき避けては通れない両義性を抱えた位相ではあるが、ここでの問題は、80年代においてはこの両義的位相が、幾度も問い直されるべき不可避的な問題としてではなく、ただ端的に繰り返し承認されるべき自明の前提と化してしまっていることにある。主体としての欲望が問われる訳ではなく、欲望する主体が誰も問い返すことのできない前提として表現の根底に据えられる、そこでは主体を欲望という観点から問い返すことそれ自体が欲望する主体を抑圧するという構えになっているのだから、あらゆる主体化された問いは無化されざるをえない。なるほどこの構えはあらゆる束縛を乗り越えうると信ずることが可能な構図ではあろうが、そうして形作られた80年代の表現の磁場は、自らが作り上げている諸々のコンテクストや諸価値を誰も主体的に問い返すことができないという点において、根底的な問題を抱えている。それは実質的には、自身の実践的営為をたんに肯定するという以外に何も実際に為すことのできない磁場なのだ。
 このことは、80年代の一面での写真状況の活性化を支えたと言われる観賞者という観点から考えてみるといっそう明らかになろう。80年代にあらわれた新しい観賞者とは、それまでの専門的な知識のみによって写真を見る者とも、また一般的な美しい写真のみを眺める人々とも異なった、ある程度の見ることや写真についての教養をそなえた存在である。つまりそれは、あるときには写真を見ることを楽しむ一愛好家であり、またあるときは写真についての何がしかの言葉を発する批評家的存在であり、時には自分で写真を作ったりもできる作家的存在でもある、そのいずれでもあり、そのいずれでもないような、いわば写真を好む大衆とでも呼ぶしかない存在である。しかし、むろんここで不特定多数の観賞者を問題としようとしているわけではない。きわめて位置づけ難いこうした新しい観賞者こそが、自身が属する価値やコンテクストを問わなくなった批評家・作家の表象にほかならないのであり、またそうした本来専門家と呼ばれるべき彼/彼女たちが一元論的価値の根底として仮構せざるをえなかった〈大衆〉なのである。
 こうして考えてみるとき、セルフ・ポートレイトが80年代の表現の磁場の一角を占める方法として、様々な作家によって共有された理由の一つもまた明らかになろう。写真の機能の重要なもののひとつは、諸々の事象に備わった意味を倍化しつつそれを転移することである。ここから考えるならば、セルフ・ポートレイトとは、既存のコンテクストを背景として転移しつつ、そこに作家としてのコンテクストを重ね合わせることで、作品のコンテクストを一気に強化する方法でもあろう。この意味においての80年代のセルフ・ポートレイトとは、諸々のコンテクストとそこでの諸価値がくずれたその後に、従来的なコンテクストにおける価値を問い返すことなく自己肯定的に転移する、もっとも容易な手段としてあったとは考えられないだろうか。
 そして、こういったことから今日的課題として浮かび上がってくるのは、80年代のセルフ・ポートレイトがその差異にもかかわらず、その言説において並列化されたことを問い直すことのみならず、そこでの並列化それ自体が実は80年代の写真表現の磁場と密接に絡み合っていることを踏まえたうえで、そこでの様々な作品が提示していたであろう両義的位相における問題を改めて捉え返してみることにほかならないように思える。