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[海外企画展カタログで振り返る・ゆらぎ、拡散する写真150年史/アサヒカメラ1991年7月号:111]


 一昨年から昨年にかけては、世界各地で写真誕生百五十年を記念する展覧会が多く催された。その中心となったのは、当然のことながら写真史的に写真の変容をたどる企画展だったが、昨年から今年にかけて海外で開かれている企画展が、その逆に、写真史の不可能性を間接的に物語っているのは興味深い。
 ニューヨーク、ホイットニー美術館で開かれた『IMAGE WORLD』は、その典型的なものだと言えるだろう。同展は起点を写真の発明におきながらも、フィルム、ビデオ、テレビなどへ次々と枝別れしていくメディア自身の変容を根底に据え、メディアが与えた文化への影響とアートの関連を考察し、イメージ全般が現実自体をどのように変えていったかを検証しようする。写真・広告・フィルム・テレビ・アートの五項目が併記された巻末の年表に見られる写真の歴史は、例えば「1988:ファクシミリが普及する」が写真の項に含まれているように、いわゆる“写真百五十年史"とはおおよそ違ったものになっている。
 続いてニューヨーク近代美術館(MOMA)で開かれたのが、『HIGH & LOW』。言うまでもなく、サブ・タイトルにある「モダンアートとポピュラー・カルチャー」とは、流行(モード)という目まぐるしく変貌する軸から生み出される、常に愛憎関係にある近代/現代美術と大衆文化という双生児。同展はその複合的な関係から、二十世紀の表現を位置づけ直そうとする。いつものことながら、これまでのMOMAの大規模な展覧会同様に、同展にも「大時代的」「反動的」との評判があったらしいが、これだけの展覧会を企てられたのは膨大なコレクションと企画者の手腕があってのことだろう。そして、パリ、ポンピドー・センターではこれと同時期に殆ど同テーマの『ART & PUB』を開催。視点が似通っているだけにカタログを見比べると、アメリカ対ヨーロッパという美術の本家争いのようなものも見えてきて面白い。
 思えば、一昨年は写真にとっての短い蜜月だったのだろう。こうした展覧会の後で、写真は、自らをどこに位置づけ得るだろうか。