texturehometext archivephoto worksaboutspecialarchive 2ueno osamu

[151年目を語る、死と性をめぐる模造図:1990年の新着洋書をふりかえる/アサヒカメラ1991年2月号:107]


 私たちはどのようなプロブレマティックに属しているのか。昨年出版された洋書をならべてみると、写真がどのようなテクストとしてあり、それがどのようにリンクしているのかが見えてくる。
 写真 150年と前後して、黙視録的語調で〈死のメディア〉としての写真が繰り返し語られた。十字架が扉に刻まれたジョエル・ピーター・ウィトキンのヨーロッパ展カタログは、〈死〉の香りを濃密に漂わせる。そして、両性具有・死体・奇形の身体を古典絵画の構図に組み込む彼の写真が赤裸々に語るのは、読みかえられた〈宗教〉だ。それを、さらにシミュラークルに展開するのがスターン・ツインズ。彼らのコラージュ、アッサンブラージュのなかでは、キリストやモナ・リザのみならず彼ら自身のポートレートまでが歴史に組み込まれ、イコンとして反復される。
 ここでの〈シミュレーション〉と〈セルフポートレート〉というタームを、〈女性〉というタームに重ねてみるとどうだろう。バーバラ・クルーガーとシンディ・シャーマンという80年代の一角を形作った二人の名前があがってくる。グラフィック・デザインを学んだクルーガーは、アドバタイジングの手法をいちはやくアートに引き込んでいる。彼女の仕事をまとめた作品集のタイトルは、トーキング・ヘッズのフレーズよろしく『LOVE FOR SALE』。シャーマンはこうしたプロブレマティックのなかで、自らの評価を高めることに成功している。初期の『UNTITLED FILM STILL』が十数年を隔ててはじめて独立した作品集として出版されたのは象徴的であり、異例のことでもある。
 さて、この〈セルフポートレート/セルフセクシュアリティー〉と、世界を震撼させている〈エイズ〉を重てみよう。いうまでもなく、思い起こされるのはロバート・メイプルソープ。自身がエイズに病んでいることを公にしてこの世を去った彼は、その活躍においてアート・ワールドを体現してしまったひとりでもある。そして、ここで語られるのは、またしてもなしくずしの〈死〉である。
 もちろん、私たちはこうしたリンクを別のかたちで読み出すこともできる。80年代に写真をめぐって書かれた評論のアンソロジー『THE CRITICAL IMAGE』は、そのための優れたガイドラインを提供してくれるだろう。